岩村明憲、引退しても“何苦楚魂”…21年間の現役生活10日にピリオド(その2)

2017年9月9日16時0分  スポーツ報知
  • 引退試合を目前に控え、心境を語った岩村
  • 07年米大リーグ挑戦。タンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)を球団初のワールドシリーズ進出に導いた
  • 11年、楽天で日本球界に復帰。活躍できなかった心残りが福島入り決断にもなった

 プロ野球・ヤクルト、米大リーグ・レイズで活躍し、現在はルートインBCリーグ・福島ホープスの岩村明憲選手兼任監督(38)が、10日の武蔵戦(ヨーク開成山スタジアム・13時)で21年間の現役生活に幕を引く。引退試合を前にした心境、「セカンドステージ」への思いなどを語った。

 × × ×

 「1番・二塁」を担い、レイズを球団初のワールドシリーズ出場に導いた翌年、アクシデントに見舞われる。併殺崩しのスライディングによって左膝前十字じん帯を部分断裂。驚異的な回復力で約3か月後に戦列復帰したものの、選手生命に微妙な影を落とした。

 「あそこに原因が100%あるわけではないけど、転機、分岐点になったとは思う。あの年は(シーズン)出だしから3割以上打てて『さあ、首位打者争いしますか』って矢先だったから、本当に悔しかった。あの故障がなければ、と周りも自分も思うけど、二塁手をやったことに悔いはない。むしろ野球観が広がったし、指導者として教えていく上ではいい経験になった」

 その後、パイレーツ、アスレチックスを経て日本球界に復帰したが、本来の姿は取り戻せなかった。

 「パイレーツ、楽天で失敗した原因は“よそ行きの野球”をやってしまったこと。パイレーツでは自分が助っ人という感覚を持った。メジャーで実績を残して行ってるだけに、周りの期待も高まっていた。ちょっと打てなくなって、こんなはずじゃない、と精神的にも追い詰められた。楽天の1年目も東日本大震災があって、今まで以上にやらなきゃいけない、と思ってしまった。実は、09年の故障は膝より足首(三角じん帯)の方がヤバかった。ある程度はプレーできたけど、もう少し慎重に、しっかりリハビリをやればよかったと思う」

 監督の目線で見ると、「岩村明憲」とは、どんな選手だったのか。

 「投手が右でも左でも、関係なくレギュラーとして使える選手、かな。出始めの頃、若松監督はファンから相当色々と言われたと思うんです。『なんで池山を出さないんだ』とか。そこを若松さんは我慢して守ってくれた。(監督が)“覚悟”を決められる選手だったんだと思う。監督が一番気を使うのは誰をスタメンで使うか。01年ヤクルトのオーダーはすごく良かった。若松監督は楽だったと思う。1番に飯田さんか真中さん、2番宮本さん、3番稲葉さん、4番ペタジーニ、5番古田さん、6番岩村、7番ラミレス、8番土橋さんと決まっていて、相手投手が右だろうが左だろうが関係なかった。俺は選手に、打てないこと、守れないことを言ったことはない。技術はやっていればついてくる。まずはメンタル。メンタルで負けたら終わりだよ、と。なんとかしようとする姿勢を見せなさい、と。監督業は“忍耐”だなと思いますね」

 現役を終えても、生涯「何苦楚魂」を胸に挑戦を続ける。

 「第2の人生は、じっくり考えていこうと思っています。とりあえず、来年は監督としてだけの目でチームを見たい。解説の仕事も勉強になるし、自分が経験したものと見て学んだものを融合させて伝えていきたい。同じ野球観を持った人であれば、コーチで呼ばれたいとも思う。ただ、野球界にしがみつくつもりはない。釣りも好きなので、釣った魚を自分の店で出すって夢もある(笑)」

 10日は打順未定ながら、DHでフル出場の予定だ。

 「俺の引退試合だけど、しびれるような大勢の観客の前で選手にやらせてあげたい。これをきっかけにチームを応援してもらえればいいし、来てよかったと言ってもらえるように最後まで全力プレーを約束します」

 ◆岩村 明憲(いわむら・あきのり)1979年2月9日、愛媛県生まれ。38歳。宇和島東高から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞6度受賞。07年に入札制度でデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。同年後期シーズンに地区優勝。同年11月からは球団代表も兼務。NPB通算13年間で1194試合、打率2割9分、193本塁打、615打点。メジャー通算4年間で408試合、打率2割6分7厘、16本塁打、117打点。175センチ、92キロ。右投左打。

あの時/あの人
  • 楽天SocialNewsに投稿!
その他
今日のスポーツ報知(東京版)