【独占激白!松井秀喜】〈6〉長嶋茂雄氏との国民栄誉賞振り返る

2018年1月21日16時0分  スポーツ報知
  • 国民栄誉賞の記念品として、金のバットを受け取る長嶋茂雄氏と松井秀喜氏(2013年5月5日、東京ドーム)

 巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(43)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=が史上最年少43歳7か月で野球殿堂入りを果たした。日米通算507本塁打を放った松井氏は、史上最多336票を集め、野茂英雄氏の45歳4か月を抜いて、史上最年少で選出された(プレーヤー表彰)。スポーツ報知では、松井氏の殿堂入りを記念して、「独占激白!松井秀喜」を連載する。

 後半の今回からは2013年5月に国民栄誉賞をともに受賞した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(81)=報知新聞社客員=への思いを受賞時の独占インタビューから振り返る。

 ―国民栄誉賞受賞の知らせを聞いた時は。

 「僕なんてとんでもない。まして(長嶋)監督と一緒なんてとんでもない。そう思い、断るつもりでいました。そこで監督に電話をしました。『自分としては、いただけません』と。監督と話をした結果、背中を押していただき、最後は『一緒にいこう』となりました」

 ―長嶋監督との出会いは、ドラフトにまでさかのぼります。クジを引かれた時の心境は。

 「当時は阪神ファンでしたが、どこに指名されても、行くつもりでした。世間は長嶋監督が復帰して大騒ぎ。戦後最大のスーパースターという認識は当然ありましたが、我々世代は野球をやっている姿どころか、最初の監督時代さえ知りません。テレビの中の人で、とにかくすごい人。そんなイメージでした」

 ―第一印象は。

 「確か、報知の対談だったと思うんですが、とにかくかっこよかったですねぇ。監督を見た瞬間、その場の空気が変わる、何かすごいものを感じました。オーラ? というか、周りの空気が変わるんですよ」

 ―最初にかけられた言葉は。

 「『大きいねぇ。アメフトの選手みたいだねぇ』って(笑い)」

 ―プロ入りしてから、マンツーマンの素振りが始まります。いつが最初だったか覚えていますか。

 「プロ1年目はなかったです。監督も時間的余裕がなく、僕も1、2軍を行ったり来たりでしたから。『1対1』が始まったのは、1年目が終わった秋のキャンプだった気がします。本格的には2年目からです」

 ―2人だけでしたか。

 「大体、2人でしたね。所さん(監督のマネジャー)がいる時もありましたけど。時間はまちまち。早い時は15~20分。僕のスイングがいい時ですね。監督から『おお、今日はいいな』と言われたりして。平均したら30分くらいでしょうか」

=つづく=(聞き手・鈴村 雄一郎)

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年6月12日、石川県生まれ。43歳。星稜高時代、甲子園4度出場。92年夏の甲子園では5連続敬遠され、社会問題にまで発展。高校通算60本塁打。92年ドラフト1位で巨人入団。リーグMVP3度、首位打者1度、本塁打王、打点王各3度獲得。03年にヤンキースへFA移籍し、09年ワールドシリーズで3本塁打を放ちMVP。エンゼルス、アスレチックス、レイズを経て12年限りで現役引退。13年に巨人・長嶋茂雄終身名誉監督とともに国民栄誉賞受賞。15年にヤンキースGM付特別アドバイザー就任。日本通算1268試合、打率3割4厘、332本塁打、889打点。日米通算2504試合、打率2割9分3厘、507本塁打、1649打点。

独占激白!松井秀喜
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