高校史上最多107発男は今、「みどりの窓口」に!JR西・山本大貴さん清宮に「はよ抜いて」

2017年5月29日4時30分  スポーツ報知
  • 高校通算107発のレジェンド球児・山本さん。現在はJR西条駅の駅員として業務にフルスイングする(カメラ・加藤 弘士)
  • 神港学園3年時の山本さん。スイングスピードの速さは別格だった
  • 主な打者の高校通算本塁打

 高校通算107発男は「みどりの窓口」にいた―。神港学園(兵庫)時代に高校史上最多とされる通算107本塁打を放った山本大貴(ひろき)さん(22)が、高校NO1スラッガーの早実・清宮幸太郎選手(3年)にエールを送った。

 高校卒業後は社会人野球のJR西日本で4年間プレーしたが、昨季限りで現役を引退。現在は社業に専念し、JR西条駅(広島)の駅員として奮闘中だ。自らの青春だった「107発」の思い出を振り返った。(構成・加藤 弘士)

 みどりの窓口ではテキパキと発券業務に取り組む。改札口では車いすの乗客を親身にアテンドする。笑顔がよく似合う鉄道員。西条駅の利用者は、誰も気づかない。この男が、高校通算107発のレジェンド球児であることを―。

 「清宮君には、超えてほしい。これから日本球界を背負っていくような選手になる。抜いてもらって、活躍してもらった方が、僕もうれしいです。はよ、抜いてくれよと(笑い)。108本目は甲子園で打ってほしい。みんな見られるから」

 淡路島出身。小2から野球を始めた。中学では軟式でプレーし、注目を集めた。数校から誘いがきたが、甲子園通算8度の出場を誇る神港学園への進学を決めた。

 「中学の時に左足を手術したのですが、病院が明石で。その時、明石球場で夏の兵庫大会をやっていて、神港の試合を見ていたら『雰囲気が楽しそうやな』と思ったんです。誘ってもらっているし、行かせてもらおうと思いました」

 入学当初は体重110キロ。中学時代は部員18人ほどの小所帯でプレーしていたが、神港学園は100人を超え、硬式出身の選手との競争も激しかった。重圧と練習で体重は激減していった。

 「夏までの3か月で15、16キロ痩せました。無駄なぜい肉なので、減りやすかったんですが(笑い)」

 チームはその年のセンバツに出たばかり。そんな俊英ぞろいの中でも、山本さんは頭角を現す。夏の大会前には練習試合に出るようになり、高校1号を放った。

 「相手とか全然覚えてないんです。必死だったんで」

105メートルのセンター 高校通算本塁打ランキングでは神港学園の打者が目をひく。なぜ、同校の選手は本塁打を放てるのか。

 「チーム方針が『転がすよりは打球を上げろ』なんです。『叩いて上げる』という感じ。上から叩くんですけど、そこから『すくう』というか。グラウンドが狭いというのもありました。センターが105メートルしかないんです。左翼が100メートル、右翼が90メートル。右翼方向は芯に当たれば、という感じ。センターフライって結構、飛んでいくじゃないですか。金属だったんで、もうそれで入っちゃう」

 山本さんは謙遜するが、強打者としての実力は確かだった。3年春の明石球場。その夏、甲子園に出場する滝川二を相手にバックスクリーンへと140メートル弾を叩き込んだ。村野工との練習試合では風に乗って、160メートル弾も飛ばした。当時のスイングスピードはプロの強打者も顔負けの158キロ。量産態勢に入った。通算100号が近づいてきた。

 「開き直って、行けるだけ行ったれと思ってました。どうせ(グラウンドが狭いからと)叩かれるんで。試合中は勝つために打つだけ。自分らはグラウンドを選べないので」

 高校通算は練習試合を含める。公式戦では何発か。

 「少なかったです。10ちょいじゃないですかね」

 「幻の一発」もあったと明かしてくれた。

 「通算108号を打ったんですけど、雨で流れちゃったんですよ。5回途中でノーゲームになって。流れて良かったと。これ以上打ったら、また神港学園が2ちゃんねるのコメントで、『狭いからや』と叩かれますから(笑い)」

 高校ラストサマー。メディアは107発男の動向を追った。まだ18歳。取材対応はどうだったか。

 「テングになってました(笑い)。家族は喜んでましたね。本塁打は気にしないようにしていました。メンタル弱いんで(笑い)。気にしたら負けだと。夏は調子が良くて、打率5割ぐらい打っていた。3番にしてもらったので、本塁打を狙うよりは、走者がいたらかえす、いなければチャンスメイクして次につなぐことを考えていました」

 最後は兵庫大会5回戦・社戦に1―2で惜敗。阻んだ投手はくしくも中学時代のチームメートだった。

 「甲子園に行きたかった。1本、打ちたかったですね」

 甲子園には思い出がある。3年春の練習後、センバツを観戦に出かけた。大阪桐蔭対花巻東の好カード。右翼席で見ていたら、大谷が藤浪から放った本塁打が、目の前に飛び込んできたこともあった。秋には彼ら同世代の有望選手がプロ志望届を提出する中、山本さんは社会人行きを決断した。

 「自分はプロでやっていける自信がなかった。通用するイメージが湧かなかったんです。打撃には自信がありましたが、守備が苦手でしたし。未練もなかったです。プロでクビになって仕事がなくなるよりは、社会人に行けるなら行こうと。チキンなんで(笑い)」

 山本さんは中2の時、父・清潤(せいじ)さんを亡くしている。自立することで、母・幸代さんを楽にさせてあげたい思いもあった。

 「母はずっと働きずくめでしたからね。卒業したら、できるだけ迷惑をかけたくないと思っていました」

 JR西日本では日本選手権にDHで出場。全国大会の舞台に立てた。それでも打棒は本領発揮ならず。昨秋、ユニホームを脱いだ。

 「実力がなかったんです。(社会人通算は)5、6本ですかね。自分的にはもう、区切りをつけてという」

 清宮が本塁打を放つたび、紙面に山本大貴の名が載る。山本さんの目に、清宮のすごさはどう映るのだろうか。

 「気持ちが強い。高校生なのに(神宮に)2万人も入って。異常じゃないですか。その中で、自分を見に来ていると分かっていて、平常心で野球ができているのがすごい。タイミングとか、軸がブレないとか、すごいと思います。僕だったら、足が震えていますよ」

 昨年9月に結婚。2月には長男の歩武(あゆむ)くんが生まれた。いま、幸せを感じるのはどんな時ですか。

 「家に帰って子供の顔を見た時です。いつか、言われるのかな。『パパの名前、清宮の下におるやん』って」

 ◆山本 大貴(やまもと・ひろき)1994年6月27日、兵庫・淡路市生まれ。22歳。小2から野球を始め、東浦中軟式野球部では2年時に県3位。神港学園では1年の5月から一塁手で起用され、同夏にベンチ入り。2年秋から左翼手。3年夏は兵庫大会5回戦で敗退し、甲子園出場はなし。卒業後はJR西日本でプレー。昨季限りで現役引退。当時のサイズは180センチ、90キロ。右投左打。

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