01年日南学園・寺原隼人、進路で騒動 話題独占…歴代甲子園キャップ“心のエース”

2017年8月14日11時0分  スポーツ報知
  • 日南学園・寺原は当時甲子園最速の158キロをマークし、フィーバーを起こした

 ◆広瀬雄一郎(01、02年アマ野球担当。09、13、14年同キャップ)

 あの夏、あの剛腕を忘れない―。夏の甲子園では連日、熱闘が展開されています。炎天下、力投で大観衆を沸かせるピッチャーの姿は、いつまでも人々の記憶から離れないものです。今週の「週刊報知高校野球」はこれまでスポーツ報知の甲子園キャップを務め、現在も野球報道に携わるデスクが“心のエース”をそれぞれつづってみました。あなたにとって忘れられない背番号1は、誰ですか。

 2001年は最速王の夏だった。日南学園(宮崎)の寺原隼人投手(現ソフトバンク)のことだ。この大会で当時甲子園最速の158キロをマーク。横浜・松坂大輔の151キロを超え、写真週刊誌も取り上げるフィーバーとなった。入社2年目のひよっこアマ野球担当だった私も彼を追いかけ、一つの騒動が勃発した。

 「事件」は、寺原が準々決勝で横浜に敗れた後に起こった。宮崎に戻る伊丹空港で「ヤクルトとかダイエーのユニホームが格好いい」と聞き、それを記事にした。プロの進路が注目される中、当時の高校生ではご法度の「逆指名」と判断された。学校は高野連から口頭注意。当時の監督は怒り心頭で、私の誘導尋問だとなり、出禁状態になった。

 会社に時間をもらい東京から出張し、同校グラウンドに日参。プロへ向け練習を続ける右腕を遠目に見ながら、本人にも監督にも接触できない日々が続いた。1週間は続いたか。ある日、ついに監督行きつけのすし店に同行できた。「てめえはお茶だけだ」と言われながら、すしを頬張った。そこから距離は縮まったのか。ドジャース元監督のラソーダ氏が獲得へ直接出馬するといったスクープも、ものにすることになった。

 記者は粘りとしつこさも大事という鉄則を実感した夏。監督の携帯着メロがMISIAの「Everything」だったことが懐かしい。まさに、あの夏は寺原が“全て”だった。(野球デスク)

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