「タイブレーク」とは? 高校野球の延長規定変遷を振り返る

スポーツ報知
1979年の全国高等学校野球選手権大会。3回戦、箕島・星陵。延長18回裏1死一、二塁、箕島・上野山善久の左前打で二塁走者の辻内崇志がサヨナラのホームイン

 延長13回無死一、二塁から 日本高野連は10日、今春のセンバツからの採用が決まっていた「タイブレーク」を、夏の全国高校野球選手権大会や地方大会、春・秋の都道府県大会と地区大会でも一律に導入することを決定した。延長13回から無死一、二塁の「継続打順」で開始し、試合の決着がつくまで繰り返す。ただし、決勝では実施せず、延長15回で決着がつかない場合は再試合を行い、再試合では同制度を適用することも決まった。

 ◆高校野球延長規定の変遷

 春夏の甲子園大会では、1958年夏から再試合の規定が設けられた。当時は延長18回に試合が決着しなかった場合で、準々決勝の徳島商―魚津が適用第1号。徳島商のエースは板東英二で同年の春季四国大会で延長25回を戦ったことが、規定新設のきっかけ。

 99年夏までは18回が上限とされ、延長引き分け再試合となったのは、春夏合わせて計4度。69年夏の松山商―三沢の決勝は、高校野球史に残る名勝負。98年夏の準々決勝の横浜―PL学園では、横浜の松坂(前ソフトバンク)が17回を一人で投げ抜き、250球を投じた。これを契機に、2000年春に18回から15回に短縮された。03年春の準々決勝、花咲徳栄―東洋大姫路では再試合も延長戦となり、延長10回サヨナラ暴投で東洋大姫路が勝利。00年以降06年夏決勝の早実―駒大苫小牧をはじめ、春は6度、夏は2度の再試合が行われている。

 ◆タイブレーク

 早期決着を目指して、野球やソフトボールでは、延長戦で人為的に走者を置く特別ルール。高校野球ではこれまで、春季地区大会のほか、明治神宮大会や国体などで導入されていた。春季地区大会の場合、延長13回以降の攻撃を無死一、二塁から開始するのが一般的となっている。国際大会では2008年北京五輪のほか、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも09年の第2回大会から採用された。

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