【高校野球 愛してま~す】新日本プロレス・棚橋弘至 2番手で終わった高校時代、憧れ強く名乗った「エース」

2018年1月30日14時0分  スポーツ報知
  • 高校時代は右のプルヒッターだった棚橋。高校野球への思いは熱く、深い(カメラ・頓所 美代子)
  • エースとしてマット界に君臨する棚橋

 センバツ出場校が決まり、プロ野球ももうすぐキャンプイン。いよいよ球春到来です。「週刊報知高校野球」では各界の著名人が白球の魅力を語る新企画「高校野球 愛してま~す」がスタート。第1回は21世紀枠での甲子園初出場を惜しくも逃した岐阜・大垣西野球部出身のプロレスラー・棚橋弘至(41)=新日本プロレス=が登場です。プロレス界のエースを名乗り始めた裏に潜む、ある思いとは? 当時の思い出や熱い野球愛を語るとともに、球児の皆さんに熱いエールを送ってくれました。(構成・加藤 弘士、片岡 泰彦)

 残念でした。我が母校・大垣西高校。21世紀枠の最終候補9校に残ったことが発表されてから約1か月。ドキドキしながら出場校発表の日を待ちわびていましたが、朗報は届きませんでした。去年も岐阜からは多治見が21世紀枠に選ばれていたので、状況的には厳しいんじゃないかとの情報ではあったんですが…。

 それでも、昨秋の県大会で準優勝。東海大会でも名門・中京大中京を破っての8強入りは素晴らしい成績です。野球部OBとして、君たちのことを誇りに思っています。この悔しさを生かして、今夏の記念すべき100回大会に、甲子園に出場してくれることを信じています。

 コウシエン…。響きがいいですよね。聞くだけで“聖地感”があります。やっぱり、歴史が深いからじゃないですかね。みんなの中で、それぞれの甲子園というものの記憶が残っている。僕も、この言葉を聞くと、高校時代の記憶がよみがえってきます。

 当時の僕は、ごく普通の高校球児でした。大垣市内の自宅から大垣市内の学校に、自転車で30分かけて通学。女子バスケ部の方とお付き合いさせてもらっていて、練習後に彼女と一緒に帰るのがささやかな楽しみでした。でも、その子の家が高校から200メートルくらい。近すぎた…(苦笑)。少しでも時間を稼ぎたくて、自転車を押して一緒に歩いて帰ったりしてました。

 プレーヤーとしては「7番・レフト」兼2番手投手。プロ野球選手になりたいという淡い夢を抱いていましたが、現実は厳しかった。右打者で当たれば飛ぶんですが、引っ張り専門。外角球まで引っ張ろうとして、バットの先に当たった二塁ゴロをよく打ってました。守備も苦手で、いつも緊張しながら守ってました。

 投手は当時の監督さん【注1】に直訴して高校から始めました。昔から憧れていて、どうしてもやりたかった。中日の大ファンで、小松辰雄投手や郭源治投手のような上手投げの速球派になりたかったんですけど、実際はサイドスローの変化球投手。コントロールが悪すぎて、半ば強制的に横投げに改造されました。

 球種は曲がらないカーブと落ちないフォーク(笑い)。巨人の斎藤雅樹投手のビデオを繰り返し見て、フォームを研究していました。でも、走者を背負って頭に血が上ってくると、いつの間にかオーバースローになっちゃったりしてました。

 それでも、憧れの甲子園に接近したことがあるんです。2年の秋。県大会でベスト4。最後は県岐阜商に2―3で惜敗しました。最上級生が9人しかいなくて、その全員がレギュラー。大橋君という好投手を中心に投打にまとまりがあって、しかも県立進学校。当時、21世紀枠があったら、候補に挙がってもおかしくないような好チームでした。

 最後の夏は、岐阜大会3回戦で大垣日大に負けました。当時はまだ阪口監督【注2】がいらっしゃる前で、そんなに強くなかった。しかも、7回表まで8―0で勝ってたんです。ところが、あとアウト1つか2つでコールド勝ちというところから、8―10の大逆転負け。おまけに僕は最後の打者でした。2死でランナーが一塁だったのかな? もう同点弾しか頭になくて。顔は左翼スタンドを向いているのに、打球は二塁ゴロ。試合終了のサイレンの音は今でも耳に残っています。

 衝撃的な負け方でしたが、あまりにも大負けすぎて、切り替えやすかった。「プロ野球選手になれないんだったら、スポーツ新聞の記者になって野球を伝える側になろう」と思い、すぐに受験勉強を始めました。野球が好きだったし、野球に関わっていたかったので。

 3年夏に引退後は、寝る時間以外はずっと勉強しました。1日15時間ぐらい。本当はダメですけど、朝はリスニングで英語の勉強をしながら自転車をこいで。学校では受験科目だった英国社以外の時間も、その3科目の勉強をやってました。休み時間はトイレ以外に席を立った記憶がないし、放課後は塾に通いました。

 この勉強法は、野球で培われた集中力と体力があればこそ。偏差値は50くらいから65くらいまで一気に上がり、立命大の法学部に現役合格しました。野球に明け暮れた3年間を無駄にしないためにも、3年の夏に引退して、これからどうしようっていうような子には、ぜひマネしてもらいたいです。

 高校野球の経験は、現在のレスラー生活にいろいろと役立っています。自分のことを「エース」と言い始めたのは、高校時代のエースへの憧れが強すぎたからなんです。野球にエース投手がいて、サッカーにもエースストライカーがいる。でも、プロレス界にはエースという概念があまりなかった。でも、僕が「エース」を名乗り始めたら、そこが軸となって全体が回り始めた。僕が野球出身者だからこそ、出た発想といえると思います。

 今、野球人気の低下を指摘する声を聞くようになりました。確かに地上波中継が減り、野球選手の顔と名前が一致しなくなってきています。セルフプロデュースが必要とされるプロレスラー的観点で言わせてもらうなら、プロ野球をもっと盛り上げたいという使命感を持った選手が出てきたらうれしいですね。

 一方で、野球界は恵まれています。テレビをつければ、新聞を開けば、自然と情報が入ってくる。プロレスはスポーツニュースにもならず、僕らはブログやツイッターなどで一生懸命、情報を発信し続けていかないと生き残れない。正直、うらやましいです。でも、そこの環境を最大限に生かせば、プロ野球の人気復活はすぐだと思います。

 では、最後に、週刊報知高校野球の読者の皆さん!愛してま~す!

 ◆棚橋 弘至(たなはし・ひろし)1976年11月13日、岐阜・大垣市生まれ。41歳。大垣西高から一般入試で立命大法学部に進学。99年、新日本プロレスに入門。冬の時代を送っていた同団体のエースに上り詰めると、女性ファン開拓など人気復活に貢献。V字回復の立役者になる。主なタイトル歴はIWGPヘビー級王座、IWGPインターコンチネンタル王座、G1クライマックス優勝2度(07、15年)など。ニックネームは「100年に一人の逸材」。181センチ、103キロ。18年には主演映画「パパはわるものチャンピオン」の公開も控える。

 【注1】川本勇監督。その後、岐阜総合学園では現中日・大野奨太らを指導。現大垣南監督。

 【注2】阪口慶三監督。愛知・東邦の監督として89年のセンバツ優勝など甲子園通算25勝。05年から大垣日大の監督に就任後、07年のセンバツ準優勝など甲子園に7度出場。

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