東海大菅生・若林監督が同級生のプロレスラー高山善廣にエール「奇跡を起こせ」

2018年2月6日14時0分  スポーツ報知
  • プロレスや総合格闘技で一時代を築いた「帝王」高山(右)
  • ノックする若林監督(右)。チームスローガン「Nothing is impossible」(不可能なんてない)は友への思いに重なるように見えた

 高山よ、奇跡を起こせ―。昨夏の甲子園で東海大菅生(西東京)をベスト4に導いた若林弘泰監督(51)が東海大相模、東海大時代の同級生であるプロレスラーの高山善廣(51)にエールを送った。マット界で「帝王」と呼ばれた高山は昨年5月、試合中のけがから頸(けい)髄損傷の重傷を負い、現在は入院しながら厳しいリハビリに取り組む。けがと闘う友への熱き思いを、スポーツ報知に語った。(構成・加藤 弘士)

 再会の舞台は病室だった。それでも友の浮かべた柔和な笑みが、心からうれしかった。

 「甲子園、ずっと見ていたよ」

 「ありがとうな」

 2017年11月11日、若林は関東地方の病院で入院中の高山を訪ねた。豪快に笑ったあの頃と比べ、高山の声は小さく、かすれていた。首から下は動かせない状況にある。だが、一度は生命の危機に直面したことを思えば―。こうして再び会話ができることを、神に感謝するばかりだった。

 2人は東海大相模の同級生だった。名将・原貢監督のもと、甲子園を夢見る速球派投手だった若林にとっても、高山は気になる存在だった。

 「高校の頃からデカかったからね。ラグビー部だったけど、最初は確か軽音楽部だったんじゃないかな。ギターを持って登校していた記憶がありますよ。クラスは別だけど、会えば話をしたりね」

 大学では同じ東海大の文学部文明学科で学んだ。若林は首都大学野球リーグで2年春に防御率0・00をマーク。最優秀投手に輝くなど、強豪大学でひたすら白球を追った。3年秋には右肘を手術するなどの困難にも直面し、即プロ入りはならなかったが、卒業後は日立製作所に入社。そして1991年のドラフト4位で中日に入団した。名古屋の地でプロ野球人としての新生活が始まった。

 あれ、アイツは高山じゃないのか?

 プロ4年目の95年4月20日、若林は名古屋レインボーホールのリングサイド最前列に座っていた。名古屋地区で新日本プロレスのプロモーターを務める知人から新興団体・UWFインターナショナルの大会に誘われたのだ。

 メインイベントは王者スーパー・ベイダーに高田延彦が挑む世界ヘビー級タイトルマッチ。試合前の入場セレモニーで思わず目を疑った。高校、大学の同級生だった長身のあの男が、リング上に立っていたからだ。

 セミファイナル前の試合で、高山は山崎一夫とタッグを組み、田村潔司、桜庭和志と対戦した。14分32秒、田村の腕ひしぎ逆十字の前に屈した。大会後、若林は控室へ向かった。高山と話すのは卒業以来だった。

 「高山、久しぶり!」

 「何だ若林、お前、何やっているんだよ!?」

 「お前こそ、何やっているんだ!」

 今のように、ネット上に情報が氾濫する時代ではない。お互いがプロスポーツ選手になったことを、この日まで気づいていなかった。

 再び、交流が始まった。

 若林はその年に1軍デビューを果たすと、8月10日の巨人戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げた。救援し、元木大介や村田真一を封じて、白星が転がり込んできた。

 高山もマット界で頭角を現しつつあったが、UWFインターは翌96年末、経営不振で解散した。前述のプロモーターから打診があり、若林は「高山、新日本プロレスなら、入団できそうだぞ」と話したこともある。「何とか大丈夫だわ。ありがとう」。力強い返事をもらったのもいい思い出だ。

 若林は97年に中日を退団。佐川急便に就職し、宅配便のドライバーを始めた。高山は世界タッグ王者を経て、総合格闘技「PRIDE」に参戦。01年6月、ドン・フライとのノーガードの殴り合いは伝説となった。02年、高山が大みそかにボブ・サップと闘うと聞くと、若林はたまらず会場に会いに行き、激励した。

 「大丈夫かよ?」

 「やるしかないんだよな」

 体を張った全力ファイトに勇気をもらった。自慢のマブダチだった。

 若林は高校野球指導者の夢が捨てきれず、37歳で名城大に通い、社会科の教員免許を取得。07年に東海大菅生に赴任すると、09年に野球部監督へと就任した。

 大事な試合には、高山はさりげなく応援に来てくれた。

 14年夏の西東京大会決勝、日大鶴ケ丘戦でサヨナラ負けし、あと一歩で甲子園切符を逃した、あの時も。

 神宮球場の応援席には、高山の姿があった。どれだけ勇気づけられたことか。

 去年の5月4日。つらいニュースが舞い込んできた。

 高山が試合中に大けが。診断は「頸髄損傷および変形性頚椎症」。首から下が全く動かず、呼吸も困難に。首の手術後には、心臓停止などのトラブルにも見舞われ、重傷だった。

 高山、頑張れ。俺も頑張るから―。思いを胸に秘め、夏の西東京大会を戦った。決勝では高校NO1スラッガー・清宮幸太郎を擁する早実と激突。清宮が1年だった15年夏の西東京大会決勝では、8回に5点のリードから大逆転負けを食らった、苦い思い出があった。6―2でリベンジし、甲子園に乗り込んだ。聖地でも全国の強豪を撃破し、ベスト4。ベンチで指揮を執る若林の雄姿は、病室で厳しいリハビリと格闘する、高山を鼓舞した。

 「少しは力になれたかな」

 高山は今もけがという名の強敵と日々、懸命に戦う。

 日が暮れ、底冷えがする東京・あきる野市のグラウンド。若林は鬼気迫る表情で魂を込め、ナインにノックを放つ。

 「高山は、気は優しくて力持ち。男気がむちゃくちゃあって、本当にいい男なんです。いつか、奇跡を起こすんじゃないかな」=敬称略=

高校野球
今日のスポーツ報知(東京版)