セ・リーグ4選手に聞いた、センバツの思い出は?

スポーツ報知
準Vの原動力となり、神村学園の名を全国区にしたエース・野上

 いよいよ23日から、第90回記念センバツ高校野球大会(甲子園・13日間)が開幕する。記念大会のため例年より4校多い36校が、紫紺の優勝旗を懸けて激突する。過去に出場したプロ選手に、センバツでの思い出を振り返ってもらった。

 ◆巨人・野上亮磨投手(鹿児島・神村学園=05年準V)

 「甲子園に近い宿舎だったので、歩いて球場入りしていました。ベスト4まで進めばバスで球場入りという話もあったのですが、結局、決勝戦が終わった後も準優勝旗を持ちながら歩いて帰りましたね(笑い)。

 当時は創部2年半で、投手も1人だけ。沖縄尚学との準々決勝では、左太ももに打球が当たって痛かったけど、ベンチ裏で治療を受けている時に、モニターに誰もいないブルペンが映し出されたり…(笑い)。

 決勝で負けたけど、センバツに出ていなかったら、プロにもなれなかったかもしれない。いい思い出ですね」

 ◆ヤクルト・由規投手(宮城・仙台育英=07年1回戦敗退)

 「大会前に左手を骨折したんですよ。開幕まで10日ぐらいしかなくて『抽選で後ろ(の日程)を引いてくれ』と思ってたら、まさかの初日。無我夢中で投げましたけど、あっという間に終わってしまって(静岡・常葉菊川に2失点完投、14奪三振)。もう少し長く甲子園にいたかった。

 でも、その試合で150キロを投げて、それをきっかけに、本気でプロ野球選手になりたいと考えるようになったんですよね」

 ◆ヤクルト・鵜久森(うぐもり)淳志外野手(愛媛・済美=04年V)

 「愛工大名電との決勝は、午後4時44分に始まって、ナイター決勝は、確か初めてだったんじゃないですか?(雨予報のため、前日に午後4時開始に変更。決勝当日の降雨でさらに遅れた)。優勝が決まって、みんなでマウンドに集まった瞬間は今でもはっきり思い出せます。夏(駒大苫小牧との決勝)は、僕が最後のバッター。どちらも覚えているのは最後ですね」

 ◆DeNA・飯塚悟史投手(新潟・日本文理=14年1回戦敗退)

 「センバツというよりもその前、3月に遠征で県外のいろいろな所に行けたのが思い出ですね。3月の新潟はまだ寒いので、最後は徳島で鳴門渦潮と練習試合をしてから甲子園に入りました。

 センバツでは、1回戦で豊川に延長13回サヨナラ負け。だからあまり思い出はないですね(笑い)。すぐに終わってしまったので、すぐに切り替えて『夏だ!夏』となったのを覚えています」

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