【ヒルマニア】大谷が改めて印象づけた日本の育成力…メジャーの二刀流系譜も紐解く

スポーツ報知

◆エンゼルス13―2インディアンス(3日・エンゼルスタジアム)

 「ヒルマニア」は、スポーツ報知でメジャーリーグを担当し続けて40年の蛭間豊章記者が、マニアックなメジャーネタをお送りします。

 メジャー初勝利に続き、日米の野球ファンの度肝を抜いた大谷の本拠地デビュー戦での初打席3ランは、長年メジャーを見続けてきた「ヒルマニア」こと本紙ベースボールアナリスト・蛭間豊章記者をも驚嘆させた。メジャー二刀流の系譜、さらには近年、米球界でなぜ大谷のような選手が生まれなかったのかを、独自の視点でひもといた。

 メジャー関係者は日本ハム、そして栗山監督に感謝しなくてはいけない。メジャーリーグは、打撃の良い投手が入団しても、マイナーでは原則投手として教育する。投手、野手として二刀流起用する場合も、救援投手ばかり。もし大谷が本来の希望通り、花巻東から即メジャー球団と契約を結んでいたら、今回のような起用法ではなく、強打で知られるジャイアンツのエース、バムガーナーのようにナ・リーグで打棒を発揮し、たまに代打出場する程度だったろう。

 その点、柔軟な考え方で二刀流を推進した日本ハム関係者には頭が下がる。この日の3ランは日本プロ野球の育成のすごさを、改めて印象づけたといっていい。

 さて、メジャーの二刀流の系譜をひもとこう。ベンチ入りが12人前後だった19世紀のメジャーでは、登板しない日に野手で登場する投手は少なくなかった。1886年にはカーネルズのG・ヘッカーが26勝23敗で打率3割4分1厘を残し、メジャー史上唯一、投手として首位打者に輝いた。

 しかし、20世紀に入りベンチ入り人数が年を追うごとに増え1910年以降25人になると、二刀流は激減。その中で、第1次世界大戦への出兵で選手が枯渇した18年、RソックスのB・ルースが投手で13勝7敗をマークした一方で、一塁や外野でも出場し、投手兼任ながら11発で本塁打王に輝いた。ただ、打者としての出場が増えた翌年は、当時のメジャー新記録となる29発を放つも、投手としての出番は減って9勝5敗。ヤンキースに移ってからは、ほぼ野手に専念した。

 31年、インディアンスのW・フェレルが年間22勝を挙げ、登板中にはメジャー最多記録となる9本塁打をマーク。通算37発も投手の最多記録だ(他に代打で1本)。通算打率も2割8分だったが、代打で162試合に出場も外野手としては13試合の出場に終わった。近年のメジャーで傑出した強打の投手としては、2001年のM・ハンプトン(ロッキーズ)が14勝&7発。06年のC・ザンブラーノ(カブス)の最多勝となる16勝&6発があるぐらいだ。

 1973年のア・リーグDH制導入以降、投手登録でDHを務めたのは88年、ヤンキースのR・ローデンただ一人(3打席無安打1犠飛で打点1)。それだけに、大谷の起用法はメジャー関係者も驚きのはずだ。

 今後、打席では胸元への速球が多くなるだろう。厳しい攻めをはね返して、2ケタ本塁打まで伸ばした上で、しっかりとローテーションを守ってほしいものだ。

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