ボー・ジャクソンと大谷翔平の違い ロイヤルズ専属アナが語った

スポーツ報知
ロイヤルズ専属アナウンサー、デニー・マシューズさん

 ロイヤルズ専属アナウンサーとして50年以上たずさわっているデニー・マシューズさん(75)が、アメフトと野球の二刀流だったボー・ジャクソンと、大谷の違いについて語った。(構成・金岡 美佐)

 (投手と打者を兼任する場合)アメフトに比べると、野球はより複雑なスポーツだ。私も(学生時代に)両方でプレーしたからわかる。野球では様々なことが求められる。アメフトでは専門職のポジションが多く、スペシャリストとしてプレーできる。私はワイドレシーバーだったが、ルートを走り、ディフェンス選手とのスペースを空けて、ボールをキャッチする。野球は打って、投げて、走塁して、と色々なことをやらなきゃならないから、大谷の方が大変だと思う。

 ボー・ジャクソンに聞いたことがある。公開座談会でのことだ。「君のことは、野球選手として、アメフト選手として、デビュー当時から見てきたけど、今まで聞いたことがない質問をさせてもらうよ。1つのスポーツしかできないと言われたら、野球かアメフトのどちらかを選べと言われたら、どっちを選ぶ?」と聞いた。

 考える間もなく、「野球を選ぶ」と断言していた。その理由は?説明するまでもないだろう。(アメフトの方が)怪我のリスクが高いからだ。彼は比類なきアスリートだった。2つの異なるスポーツで、世界最高峰のレベルでプレーし、双方でオールスター戦に選ばれるほどのインパクトを残した。大谷もボーに匹敵するようなスーパースターになる可能性がある。

 私はまだ(大谷を)打者として2試合しか見ていないが、非常に優れたアスリートに見える。打者として持つべき知識をすでに備えているようだ。前人未踏の地を進んでいると言っても過言ではないだろう。成功すればするほど、周囲から注目される。

 報道陣からもより時間を要求されるだろう。そのバランスをどう取っていくかが必要になるかもしれない。報道陣の過熱化は、ジョージ・ブレットもシーズン打率4割に迫っていた1980年すごかった。その時、彼のメディア対応は試合の1時間半前に15分だけというルールを設けた。ブレットは4割こそならなかったが、その年3割9分でチームを優勝に導いた。大谷もそれ(メディア対応)を考えた方がいいと思うよ。

 私のことを言わせていただくと、育ったのはイリノイ州中部のウィルミントン。シカゴとセントルイスの中間にある。地元ラジオ局ではカブスやホワイトソックスではなく、常にカージナルスの試合を中継していた。父はカージナルスのファンで、家では私が物心がついた頃からカージナルスの中継が流れていた。でも子供の頃は野球のラジオ中継を聞くより、とにかく外で野球をしたかった。

 大学の終わりの頃までは、アナウンサーを仕事にしようとは思ってなかった。大学ではアメフトと野球をしていた。両スポーツのオフシーズン中に、地元のラジオ局から高校と大学のバスケ中継を手伝ってもらえないかと話を持ち掛けられた。いい経験だった。アメフトではワイドレシーバーとして、中々いい選手だったんだ。小規模の大学では全米でトップ10に入る選手だったんだよ。

 メジャーリーグのアナウンサーとしてのデビュー戦は忘れられない。打者ならメジャー初安打、投手ならメジャー初勝利の試合をよく覚えているようにね。だから、あの試合のことは今でも鮮明に覚えている。今でもそうだが、延長戦に入ると、1回終わる毎に別のアナウンサーと交替する。私は10回を担当し、相棒が11回を担当した。12回に入り、また私の番がやってきて、チームが勝った。それで私は「ロイヤルズが勝利!」と発した初のアナウンサーになったんだ。最高だよ。非常に印象に残る試合だった。

 ◆ボー・ジャクソン
 オーバーン大時代からアメフトでは全米最高のハイズマン賞を受賞、野球でも強打の外野手として活躍。1986年NFLの全米1位指名、MLBではロイヤルズから4巡目指名され、初年度は野球に専念も、翌年NFLレイダーズでもプレー。両方のオールスター戦に出場した唯一の選手で89年MLBオールスター戦で2本塁打しMVPとなるなど、「異種競技最高の選手」と称された。しかし、91年にアメフトで負傷、その後復帰も全盛時の活躍は出来なかった。野球では694試合に出場し141本塁打。アメフトではランニングバックとして公式戦16タッチダウンした。

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