原辰徳氏、星野仙一氏を悼む「仏と鬼の両方の顔を持った野球人だった」

スポーツ報知
涙をこらえ思い出を語る原辰徳氏

 巨人前監督で、巨人特別顧問の原辰徳氏(59)が6日、70歳でこの世を去った大先輩・星野仙一氏を悼んだ。都内で取材に応じ「仏と鬼の両方の顔を持った野球人だった」と思い出を語った。

 自宅で訃報を聞いた原さんは、言葉を失った。そして耳を、目を疑った。昨年11月の野球殿堂を祝う会で対面したのが最後だった。

 「信じられないし、ショック。パーティーの時も『良く来てくれた。感謝する』と言っていただいた。私は闘病生活を全く知ることなく、今を迎えた。気丈な方ですし、そういうことをみじんも感じさせずに闘われたのではと思う」

 野球人・原辰徳の前には、いつも大きな山として星野仙一が立ちはだかった。現役時代はライバルとして、評論家時代は先輩として、監督としてぶつかった時には全力で、その山を越えようと考えた。

 「素晴らしい先輩で、素晴らしい野球人でしたし、勇気のある方だった。中日で選手として対戦し、ライバルチーム・阪神、楽天でも監督をなさった。あえて険しい道を選んで進まれていたと思う。野球に対する情熱、発展という2つがあったから勇気ある行動に移されて、功績を残された」

 選手としては、原さんが新人の1981年と、翌82年の2年間対戦。「打倒・巨人」で気迫を前面に出すエースに通算36打数7安打、打率1割9分4厘と抑え込まれた。

 「(新人の時)ボールを投げる前に『よし、行くぞ!』と、気合を前面に出された。私の知っている限りでは一番すごい気合の持ち主だった」

 自身が評論家になると、これまでの厳しさから一転、よき相談者として野球談議に花を咲かせた。

 「評論家の時は『いいか、選手は信頼しても信用するなよ』という言葉が印象的だった。仏の顔、人間としての優しさ、それと勝負に対する鬼の顔、厳しさの両極端の顔を持っていた。勝負になると私も鬼にならなくてはいけないというのを教えていただいた」

 原さんは02年の監督就任1年目で巨人を日本一に導いたが、03年のシーズン終盤で辞任を決めた。その年の10月7日の阪神戦。敵地・甲子園で用意された退任セレモニーで、当時阪神の監督だった星野氏から声を掛けられ、分厚い胸に引き寄せられた。

 「辞めたときのいきさつは一切、相談しなかった。ただ、何か通じているものがあるのではないか、と自分の中で感じた。『くじけるな、もう一度、勉強して戻ってこい』という言葉に全てが集約されていた」

 13年の日本シリーズ、闘将は楽天の指揮官として原さんの前に立った。3勝3敗で迎えた最終戦を楽天が制して日本一に。当然、悔しさはあったが、不思議とそう快さも湧き上がった。

 「星野さんの胴上げを見て、心の中で拍手を送った。勝負の世界は勝つか負けるか。私も少なからず勝者の気持ちも理解していたし、敗者の気持ちも理解していた。それが相まって、そういう心境になった」

 天国へ旅立つ大先輩へコメントを求められても、まだ、実感は湧かない。

 「今のところはまだ信じられない。時間がたって、事実を受け入れた時にその言葉は伝えたい」

 幾多の勝負を繰り広げた“戦友”のことを思い、一瞬、空に目を向けた。その両目は真っ赤になっていた。

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