【侍ジャパン】稲葉監督、星野さんの“熱”を受け継ぎ東京五輪へ

スポーツ報知
野球教室で子供たちに指導する稲葉監督

 侍ジャパンの稲葉篤紀監督(45)が7日、膵臓(すいぞう)がんのため4日に死去した星野仙一さん(享年70)の教えを胸に、東京五輪へ挑む思いを明かした。稲葉監督は現役時、星野ジャパンの一員として08年北京五輪に出場。「星野監督の野球、熱というものは受け継いでいるつもりでいます」と、3大会ぶりに野球が復活する20年東京五輪でのメダルを獲得し、闘将に報告する決意を口にした。

 唇を震わせながら、悲しみを受け止め、そして覚悟を決めた。稲葉監督は、星野さんが野球に注いだ情熱を侍ジャパンの監督として継承し、20年の東京五輪を目指す覚悟を明かした。

 「北京五輪の時、初めて代表のユニホームを着させていただいた。(星野監督は)非常に熱い方で、野球界のために、ということを選手に毎日のように言っていた。私の野球人生の中で、星野監督の野球、熱というものは受け継いでいるつもりでいます」

 08年北京五輪。現役だった稲葉監督は、星野監督の下、金メダルを目指して戦った。結果は4位に終わったが、野球に全てを懸ける闘将の姿から多くを学んだ。20年東京五輪では、北京以来3大会ぶりに野球が復活。時折、言葉に詰まりながら、青年監督は今の胸中を言葉にした。

 「選手の使い方や、ユニホームを着ている時と脱いだ時の選手との接し方だったり、非常に勉強になりました。もっとお話を聞きたかった…。五輪の監督はWBCとはまた違う。いろいろな話を五輪までに聞けたらな、と思っていたのに…」

 昨夏、侍ジャパンの監督就任が決まった際、星野さんに報告した。「お前のやりたいようにやれ!」。愛情が詰め込まれた短いメッセージが「本当にうれしかった」という。好きなように―。選手選考においては、闘将同様、代表に対する気持ちの強さを重視する。

 「熱い気持ちを持った選手を選ぶ、というのは星野監督から教えてもらったこと。選ばれたから出る、ではなく、出たい選手、日本の野球界のために戦ってくれる選手がいるとうれしい。熱、というものを伝えていかないといけない。ジャパンでもレギュラーを取りたい、日の丸を背負って戦いたい、という熱い選手が一人でも増えてくれるよう、私自身も伝えていきたいと思っています」

 この日は佐賀市で西武の辻監督らと野球教室に参加。野球振興に尽力した故人と思いを共有するように、子供たちと触れ合った。東京五輪まで、あと2年。五輪の悔しさを晴らすのは、五輪の舞台しかない。少し視線を上げながら、稲葉監督は誓いを立てた。

 「北京五輪で(選手として)星野監督を男にできなかったことを非常に後悔しています。その悔しさは、星野監督はすごく持っていたと思う。(東京五輪で)野球が復活し、監督を務めさせていただく。何とかメダルを取って、いい報告をしたいと思っています」(宮脇 央介)

 ◇北京五輪での星野ジャパン 07年1月に星野監督が就任。同年12月のアジア予選を全勝突破し、8月の本戦出場を決めた。本戦では予選から苦戦し、4勝3敗の予選4位で準決勝進出。準決勝では韓国に、3位決定戦では米国に敗れてメダルを逃した。

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