【日本ハム】清宮、星野さんへ恩返し決意「天国で活躍見守って」

スポーツ報知
「勇翔寮」に入寮した清宮は、報道陣に囲まれ笑顔を見せた(カメラ・橋口 真)

 日本ハムのドラフト1位・清宮幸太郎内野手(18)=早実=が8日、4日に膵臓(すいぞう)がんのため死去した星野仙一さん(享年70)への感謝の気持ちを胸に、プロでの生活をスタートさせた。この日、千葉・鎌ケ谷市の球団寮「勇翔寮」に入寮。12年には楽天戦で始球式を務めるなど、縁が深かった闘将へ「天国で活躍を見守っていてほしいです」と感謝。プロで活躍し、星野さんへ恩返しをする決意を口にした。

 午後1時40分。無数のフラッシュを浴びながら質問を受ける清宮の脳裏に、星野さんとの思い出がよみがえってきた。「星野さんはラグビーも愛してくださって。父親(ラグビー・ヤマハ監督の克幸氏)も、ものすごく尊敬していました」。これまで、自身を厳しくも温かい言葉で叱咤(しった)激励してくれた闘将の姿が、まぶたの裏に浮かんだ。

 出会いは早実中1年だった12年6月27日。リトルリーグの有望投手として、日本ハム・楽天戦(東京D)で始球式を務めた際、当時監督だった星野さんと対面した。「『幸せな男だな』と声をかけていただいた」。早実1年だった15年には高校日本代表の壮行試合で再会。「なんでお前が選ばれとるんや」と冗談交じりにイジられた。そして昨秋。高校通算最多の111発と実績を残し、ドラフト会議では楽天から1位指名という最高の評価を得た。7球団競合の結果、日本ハム入りが決まったが「ドラフトでも指名していただいた恩がある」と感謝を口にし、「天国で自分の活躍を見守っていてほしいです」と言葉を絞り出した。

 入寮を直前に控えた年末年始には、最愛の祖父母も亡くした。昨年12月29日に父方の祖父を、今月4日には母方の祖母が息を引き取った。両親が共働きだったこともあり、幼少期に面倒をみてもらった大好きな祖父母だった。「一緒に野球中継を見たり。いろいろなところに連れていってもらったり。自分の原点になるものをたくさん作ってくれた」と回想した。

 相次いだ突然の別れ。そんな状況でも、18歳とは思えないほど気丈に振る舞った。この日までに祖父母の葬儀などの参列を終え、「(別れは)さみしかったですけど、ちゃんと入寮前にお別れできた。天国で見守っていてくれると思う」。最後には「フェンス際の打球をちょっと押してくれるかな」と、天国の祖父母に語りかけるように言った。

 9日から新人合同自主トレがスタート。つらい別れを乗り越え、プロの一歩を踏み出す。幼いころから練習に付き合ってくれた父とは「バッティング納め」として前夜に自宅の地下練習場でティー打撃を行った。「親をはじめ、こうして自分があるのも、たくさん体のケアやトレーニングだったり、幼少期の頃だったり、いろんな人たちに支えられて今がある。皆さんに感謝したい」。その気持ちを胸に、グラウンドで輝きを放つこと。それが最高の恩返しになる。(小島 和之)

 ◆報道陣殺到

 清宮の門出を見届けようと、寮周辺にはファンが早朝から集い、入寮時には小雨が降る悪条件の中で約200人が集結。混乱を避けるために寮の入口には立ち入り禁止エリアが設けられるなど、厳重な警備が敷かれる中で「頑張って!」「手を振って!」などの声援が飛んだ。報道陣は33社100人が集まり、テレビカメラ13台、20人以上のカメラマンが黄金ルーキーの一挙手一投足を追った。

 ◆グラブ3種と英語本持参 大谷部屋隣に決定

 清宮が入居するのは、4階にある大谷の隣の部屋に決まった。米国へ旅立つ先輩と交流を図るには絶好の環境とあって「野球のことでも、プライベートのことでもいろいろと聞ければ」と意欲。また栗山監督の方針に従い、ファーストミットの他、内野手用、外野手用のグラブも持参。将来的なメジャー挑戦を胸に秘めるルーキーは英語関連の本も持ち込み、「いろんな本は持ってきました。(本は)あまり読んできていないので、読む人になりたい」

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