【日本ハム】大谷の「背番号11」を“準永久欠番”扱い検討 次のスター出現まで封印 

スポーツ報知
日本ハム時代の大谷翔平

 日本ハムが、ポスティングシステムでエンゼルス移籍が決まった大谷翔平投手(23)の「背番号11」を“準永久欠番”扱いとして検討していることが16日、分かった。球団幹部は「そこ(11番)はスペシャルな番号なので」と説明。二刀流で数々の衝撃を残して海を渡る“大谷級”のスターが現れるまでは、空き番号として封印する意向を明かした。

 輝かしい功績に対して、球団が最大の敬意を示す可能性が出てきた。大谷は入団2年目の14年に、プロ野球史上初となる同一シーズンでの2ケタ本塁打と2ケタ勝利を記録。16年にも10勝、22本塁打の成績を残してリーグ優勝、日本一の立役者となり、パMVPや史上初のベストナインの投手とDHの両部門を同時受賞した。

 日本ハムの永久欠番は故・大社義規元オーナー(享年90)が、1981年のリーグ優勝に合わせてユニホームを作った際に着用した「100」だけ。だが、これまでには10年に亡くなった大沢啓二さん(享年78)の監督時代の背番号「86」が94年の退任後は誰もつけていないことから、事実上の欠番となっている例もある。

 選手では、11年までダルビッシュが背負っていた「11」を翌12年シーズンは空き番号としたこともある。大谷も期間限定の欠番扱いとなる可能性が高いが、当面の間は「11」が大谷の背番号としてファンの間で受け継がれることになりそうだ。

 ▼大島康徳(1988~94年) 68年にドラフト3位で中日に入団。88年に日本ハムに移籍し、7年間「11」を背負った。通算2204安打、382本塁打。史上2位の代打本塁打20本を記録。2000~02年には日本ハムの監督を務めた。

 ▼ダルビッシュ有(2005~11年) 04年ドラフト1巡目で日本ハム入団。07、09年にチームを優勝に導きMVPを獲得。11年オフに米大リーグに挑戦。

野球

×