山本浩二さん、衣笠さんとの86回のアベックアーチ振り返る

スポーツ報知
74年6月、試合前のベンチで談笑する衣笠さん(左)と山本浩司(当時)

 プロ野球・広島で活躍した衣笠祥雄さんが23日に上行結腸がんのため71歳で亡くなった。チームメートとして黄金時代を築いた山本浩二さん(71)はこの日昼過ぎ、盟友の死去について沈痛な表情で語り出した。「23日の夜に聞いた。5日前のテレビ中継の解説を見ていて少し心配していた。数年前から顔色が悪かった。昨年の春に一緒にトークショーを行った際に『大丈夫か』と聞いたが、本人は『大丈夫』と笑っていた」。夜には、都内で営まれた衣笠さんの通夜会場に自ら運転する車で到着。約1時間滞在し、その場を後にした。

 同学年だが、法大から4年後にプロ入りしただけに、山本さんはレギュラーだった衣笠さんを「(75年に)初優勝するまではライバルとして見ていたが、優勝争いの中で心を通じ合うことができた」という。

 「一番の思い出はその年のオールスター戦で2人が2打席連続本塁打を打ったこと。あそこから“赤ヘル旋風”という名前が付いたと記憶している」と語る。甲子園での球宴。3番・山本が1、2回に、6番・衣笠が1、3回に太田幸司、山田久志を血祭りに上げるダブルマルチアーチ。ここから2人のコンビが決定的となって、ONコンビに次ぐ歴代2位の公式戦で86回のアベックアーチにつながった。

 また、衣笠さんが連続試合出場を続けていたこともあって「休みたいと思っても彼がそばにいる限り休むことは許されなかった。最高のライバルであり、チームメートであり、お手本になる選手だった」と故人をしのんだ。

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