【東京ドーム30年】ゴールデンウイーク名場面はやはりゴジラ1号!

スポーツ報知
1993年5月3日付スポーツ報知1面

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎えた。

 1988年3月18日の巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなり、4月3日まで6日間にわたって開催されたセ・パ全12球団プロ野球トーナメントでは、巨人が優勝した。東京ドーム30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1993年5月3日付1面

 今年のゴールデンウイーク9連戦は、雨天中止を1日はさみ、巨人は4勝3敗1分けだったが、東京ドームで行われた3試合は全勝(4月28~30日、ヤクルト3連戦)だった。あまり話題にならない「東京ドーム30年」を見事に飾っていたのだった。

 東京ドームのゴールデンウイーク名場面を挙げるならば、25年前の松井秀喜(以下、選手名は敬称略)の豪快プロ1号だろう。1993年5月2日のヤクルト戦。1-4で迎えた9回2死一塁、ヤクルトの守護神・高津臣吾の4球目直球を右翼席にたたき込んだ。

 翌3日付スポーツ報知の見出しはこうだ。

「松井 怪物1号」

「130メートル弾丸2ラン」

「原超えた7打席目」

「負けても大満足 ミスターが絶賛」

 原辰徳を超えたというのは、「おもな現役打者のプロ1号」という表がついている。清原和博(西武)が2打席目(1試合目)、落合博満(当時中日、1号時はロッテ)が7打席目(3試合目)、原辰徳(巨人)が8打席目(2試合目)だったのだ。松井は前日デビューの2試合目7打席目だった。

 「きょうは負けゲームでしたからね。今度は勝ちゲームで、貢献できるように頑張りますよ」殊勝なコメントがゴジラらしい。尾谷和也記者(現編集局次長)は「1993年5月2日はゴジラ記念日。“ゴジラ伝説”の1ページ目だ」と記している。前年発行の「サラダ記念日」(俵万智)がベストセラーだった時代。もう四半世紀前になるのか。(資料探偵・酒井 隆之)=随時配信=

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