【ロッテ】2000安打へ「M1」 担当の伊達スカウトが明かす福浦との“運命の糸”

スポーツ報知
西武戦の7回無死、福浦は左前安打を放ち、「FUKU METER」は1999になった

 ロッテ・福浦和也内野手(42)が、プロ野球史上52人目の通算2000安打まで残り1本に迫った。習志野時代の福浦を担当した伊達泰司元スカウト(67)が、“運命の糸”で結ばれていたような獲得までの経緯を振り返った。

 福浦をドラフトで指名したのは1993年。92年に川崎から千葉マリンに移転したばかりで、当時の重光(昭夫)オーナー代行が地域密着化を進める上で「地元の選手を取ろう」という流れがあって、2位で拓大紅陵の立川(隆史)を指名して、福浦を7位で獲ったんです。

 彼は左投手。3年生になった頃、直球の球速は140キロ前後出ていて、スライダーのキレもよかった。スライダーでカウントを整えて、最後に直球で差し込ませる投球スタイルだった。体重は70キロ台前半くらいで線は細かったけど、体力さえつけば、プロでもやっていけると思った。打撃フォームも柔らかくて逆方向への打球もよかった。コースに逆らわずに流し打ちしたり、打ち分けるバットコントロールもよくて、うまくさばいていた。

 習志野の試合は2度ほど見に行ったんですけど、その2度とも活躍したんですよ。打って、抑えてね。他球団も気になっていたらしく、球場に足を運んだみたいですけど、その時に限って活躍しなかったみたい(笑い)。他のスカウトたちはみんな「ダメだったなあ」と口をそろえていた。それで「これは獲れるな」と思って、獲得リストに載せた。

 福浦本人は「獲ってくれたのは千葉出身だったからでしょう」と、ずっと私に言ってましたが、そうじゃない。打撃もよかったし、見込みがあったからで、当時の木樽(正明)スカウト部長に「最後までリストに残してください」と、お願いしたのを覚えています。あの時、他球団のスカウトが見に行っていた時に活躍していたら、他の球団に行ってたかもしれないですね。

 7位という地位で、2位で同期入団の立川には負けたくないと思っていたと思う。1年目の半年過ぎたくらいで打者に転向して、ワンチャンスをものにした。それから2000安打も間近に来た。スカウトを辞めてもう何年にもなりますが、ここまでやってくれて、担当スカウトとしては本当にうれしい限りです。

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