故・阿久悠さん作詞家デビュー50年に岩崎宏美と北原ミレイが恩師を語る

2017年11月7日12時0分  スポーツ報知
  • 2000年12月、静岡・伊東市でのディナーショーで笑顔の阿久悠さんと岩崎宏美(本人提供)
  • デビュー当時の思い出を話す北原ミレイ

 「UFO」「勝手にしやがれ」など5000曲以上を手掛け、2007年8月に他界した作詞家・阿久悠さん(享年70)が没後10年、作詞家デビュー50年を迎えた。今月は都内でトリビュートコンサートが開催されるほか、レコード7社が一斉で記念アルバムを発売するなど功績を振り返る企画が目白押し。「スター誕生!」で阿久さんに見初められ、「ロマンス」などを歌った岩崎宏美(58)、「ざんげの値打ちもない」の北原ミレイ(69)に恩師への思いや素顔を聞いた。

 「師匠というか、歌手・岩崎宏美を作ってくれた“母”のような存在です」

 阿久さんが審査員を務めた日本テレビ系「スター誕生!」で15歳でグランドチャンピオンに輝き、デビューへの切符をつかんだ岩崎。阿久さんからは、デビュー曲「二重唱(デュエット)」から「シンデレラ・ハネムーン」まで14曲連続、計60曲を手掛けてもらった。

 阿久さんはレコーディングに頻繁に顔を見せた。「いつも黙って腕組みして、好きなように歌わせてくれた。先生は20歳上なのに、私の胸の内を全て知られてるようなドキドキする歌詞を書く。先生が亡くなる直前に『学生時代に友達のラブレターの代筆をやってたから想像力が豊かだった』とおっしゃってて謎が解けたんです」

 高校卒業から3か月後に録音した「思秋期」(77年の日本レコード大賞歌唱賞)の時のことは忘れられない。

 「ディレクターの飯田久彦さん(元歌手、当時ビクター社員)が『絶対にスタジオを暗くするな、岩崎は泣くから』と。私の青春と重なる歌詞で、理由は分からないけどイントロからボロ泣きでした。その日は鼻声で中止になって、5日間もかかった。最後は心を静めて、淡々と歌いました」

当初「感傷的な17歳」 一方で、阿久さんの意外な一面を明かす。

 「ある時、レコード会社の宣伝部長が新宿の占い師に、2曲目『ロマンス』はあたるか尋ねたら、『3曲目まで絶対、カタカナの曲名にしなさい』と言われた。それを聞いた先生は、当初『感傷的な17歳』だった3曲目のタイトルを『センチメンタル』にした。先生はとぼけてたけど、そういうとこあるんですね」

心を込め歌い継ぐ 心に刻み続ける阿久さんの言葉がある。

 「デビュー後は本当に忙しくて、『スタ誕』の新人コーナーでミスを連発したんです。夜中に『ロマンス』をレコーディングした翌日、歌い出しのタイミングが分からず2回NG…。『センチメンタル』でも歌詞を間違ったの。収録後に先生が『初めて歌う時に必ずNGを出すことをジンクスにしちゃいけない』と。淡々と言われて怖かったけど、愛のある言葉だった。どんな仕事でも心がけてきました」

 ゆっくりと話す時間もなく、阿久さんは天国へ旅立ってしまった。「2人だけで話したことは一度もない。たばこに1回くらい火を付けたかったな。先生の曲は私の中で生き続けている。心を込めてずっと歌い継いでいきたい」

 ◆岩崎 宏美(いわさき・ひろみ)1958年11月12日、東京都生まれ。58歳。75年にデビューし「ロマンス」「聖母(マドンナ)たちのララバイ」などヒット曲多数。88年に大手商社マンと結婚し2児をもうけたが、95年に離婚。2009年4月にミュージカル俳優の今拓哉と再婚した。妹は歌手の岩崎良美。

 ドスの利いた独特な歌声で“怨歌(えんか)の女王”と称される北原の歌手人生の礎を築いたのは阿久さんだった。

 「いつもニコニコして優しい方だけど、寡黙でどこか怖さを感じる方でした」

 70年のデビュー曲「ざんげの値打ちもない」のレコーディングで初めて対面した。

 「加藤登紀子さんの曲を歌ったテープを事前に送って、私の声に合わせて詞を書いてもらった。主人公が自分の過去と犯罪を思い返す暗い曲で、阿久先生から『笑うな、しゃべるな、うつむいて歌いなさい』と暗~い歌い方を求められた」

 2曲目「棄(す)てるものがあるうちはいい」、3曲目「何も死ぬことはないだろうに」と暗い歌が続いた。

 「ロマンチックな曲が歌いたかったのに。発売をやめたいと直訴したりしたけど、ふてくされながら我慢して歌いました。阿久先生が後の著書で『本当ならデビュー後は華やかな色に染めるのに、僕は北原ミレイを灰色に染めてしまった。申し訳ない』と書いてた。灰色というより黒かったけど(笑い)。今思えば、私の声に合わせた世界観だから喜ばないとダメよね。感謝しかない」

 北原の20周年ライブの際に阿久さんからメッセージが届いた。「この曲はあなたにとっても私にとっても、人生の分かれ道における道しるべのようなもの」とつづられていた。「阿久先生は作詞家3年目で『ざんげ―』を書いて、当時は新人だった。作詞家で生きていく決意をした曲になったと聞いてうれしかった」

 自身の歌手人生も半世紀近くになった。「先生の詞は10曲ほど歌ったけど、シンプルなのに深く、何十年たっても古くない。先生とともにデビューして、48年の歌手人生をつなげてくれてるんだと感じながら歌いたい」

 ◆北原 ミレイ(きたはら・みれい)本名・南玲子。1948年7月18日、愛知・豊川市生まれ。69歳。高卒後に上京し、ナイトクラブで歌う姿を水原弘に見いだされる。70年「ざんげの値打ちもない」でデビュー。75年「石狩挽歌」がヒット。CMソングやラジオなどでも活躍。

 ◆阿久 悠(あく・ゆう)本名・深田公之(ふかだ・ひろゆき)。ペンネームの由来は「悪友」から。1937年2月7日、兵庫・淡路島生まれ。兵庫県立洲本高校卒業後、明大文学部入学、同大学院修士課程修了。広告代理店勤務を経て放送作家に。67年に作詞家デビュー。作詞したシングル曲の総売り上げは6800万枚を超える。99年に紫綬褒章受章。

 阿久さんの長男で作曲家の深田太郎さん(52)は、没後10年で再び注目される父の姿に、「みんなに愛される歌をたくさん作った人」と振り返った。

 普段は無口な父だったが「優しくてチャーミングな人だった」。一方で、幼少期は「人の悪口は言うな。自分に得はない」としつけられたという。深田さんが10歳の頃、横浜から伊豆に移住。各部屋にメモ帳を置いて作詞に励み、多い年で360曲を書いたという逸話もある。「24時間365日、阿久悠でした」。父のモットー「仕事は熱の冷めないうちにやる」は、自身の音楽活動の指針でもある。数百ある未発表作のうち、今年は18曲が世に送り出された。「天から『この詞を何とかしてみて』と父の声を感じる。今後も続けていきたい」と語った。

 レコード会社7社が阿久さんのオリジナル作品に加え、未発表曲を1曲ずつ収録したアルバム「阿久悠メモリアル・ソングス」など、その功績をたたえた9作品が今月15日に一斉発売される。うち8作のCDジャケットは、阿久さんと親交が深かった漫画家の上村一夫さん(86年死去)のイラストを採用。トリビュートアルバム「地球の男にあきたところよ」では、福山雅治が「勝手にしやがれ」(沢田研二)を歌うなど豪華アーティストが参加している。

 また、17、18日には東京国際フォーラム・ホールAで「阿久悠リスペクトコンサート」が開催され、岩崎、北原、五木ひろし、森進一、和田アキ子、石川さゆりら20組が参加予定。

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