小室哲哉「疲れた」TMから35年「『悔いなし』という言葉一つも出ない」

スポーツ報知
神妙な面持ちで会見に臨んだ小室哲哉(カメラ・小泉 洋樹)

 音楽プロデューサーの小室哲哉(59)が19日、東京・南青山のエイベックスビルで会見を行い、芸能界を引退することを表明した。18日発売の「週刊文春」で看護師の女性Aさんとの不倫疑惑が報じられた小室は、会見でくも膜下出血で闘病中の妻・KEIKO(45)やファンに謝罪。「僕なりの騒動のけじめとして引退を決意しました」と明かした。1983年に「TM NETWORK」を結成してから35年。プロデュース作品の総売り上げは約1億7000万枚超。一時代を築いた男が、あまりに突然に表舞台から姿を消す。

 看護師との不倫疑惑の釈明から一転、突然の引退表明だった。冒頭一人でしゃべり続けたあいさつは約50分間、会見は全体で2時間にも及んだ。青白い表情からは、疲労感がにじみ出ていた。「『悔いなし』という言葉は一つも出てこない」。節々に無念さをにじませた。

 引き際は、常々考えていた。11月に還暦を迎える。「公務員の定年が60歳。ある種、大きな節目。創作でも、期待に応えられる音楽制作のレベルなのかなと。枯渇していっている能力。自分でも飽きてきている、皆さんも飽きてきているという。そういった認識の甘さだったり。(全盛期から)約20年。まあまあの時期が過ぎたのかなあ、と」。昨年頃から制作意欲の減退を自覚。そんな中で起きた不倫疑惑が引き金を引いた。

 不倫の事実は否定する一方で「(報道が)起爆剤になっていただいたというのは、ちょっとおかしいけど。罪を犯せば、罰を受けないと」。今回の疑惑で、苦い過去も脳裏によみがえらせた。一時代を築きながら、2008年に自身の著作権を巡る5億円の詐欺事件で逮捕され、懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けた。「(不倫報道をされ)判決を聞いた時と同じような気持ちを抱いた」。引退は、自分に科した“罰”だった。

 ともに数々の音楽を世に送り出した安室奈美恵(40)の引退表明にも重ね合わせた。「引退宣言は理解できた。美学を貫く意味ではステキ。自分もいずれステキな形で身を引ければと思っていた」。理想的な幕引きではなかったが、自分なりのケジメをつけた。

 引退を決断する上で、妻・KEIKOの存在も大きかった。有罪判決から復活を目指していた11年に病に倒れた。「会話が日に日にできなくなってきて。3年ぐらい前から、ちょっと僕も疲れ始めてしまったところはあったと思う」。介護ストレスが自身の体にも影響を及ぼした。会見では、2年前にC型肝炎を発症したことを告白。一人で闘病生活を続けることでストレスも増え、また左耳が難聴状態となり、今も耳鳴りの症状に悩まされているという。引退は、満身創痍(そうい)の苦しみから逃げ出す決断でもあった。

 引退後については「(文春の)取材を受けて、まだ5日しかたっていない。少しお時間を頂いて考えたい。KEIKOのことを含めて」と話すにとどめた。24日には浅倉大介(50)と結成したユニット「PANDORA」として音楽イベントに出演する。「最低限のことを全うしてはいきたいが、自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思っています」。制作済みの未発表曲などの発売は、提供相手に委ねるという。

 生み出したヒット曲は数知れず。「楽曲は退かないで、生きていってほしい」。時代をつくった男は、何度も涙を見せた。

 ◆小室 哲哉(こむろ・てつや)1958年11月27日、東京都生まれ。59歳。83年「TM NETWORK」を結成し、84年「金曜日のライオン」でデビュー。87年「Get Wild」がヒットし、88年NHK紅白歌合戦に初出場。95年「globe」結成。音楽プロデューサーとしてTRF、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美ら多数のアーティストを手がけ、ミリオンヒットを連発。2度の離婚後、2002年にKEIKOと再婚した。

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