長く劇団で活動、ピンク映画にも出演…大杉漣さん評伝

スポーツ報知
昨年5月、鳴門大塚ポカリスエットスタジアムで行われた徳島の試合の応援に駆けつけた大杉漣さん

 映画「ソナチネ」「HANA―BI」などに出演し、ドラマやバラエティーでも親しまれた俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名・大杉孝=おおすぎ・たかし)さんが21日午前3時53分、急性心不全のため死去した。66歳だった。

 4人兄弟の末っ子として徳島県で生まれ育った大杉さん。高校卒業後、明大進学のために上京したが、音楽に明け暮れ、大学を中退。アルバイトで生計を立てていた73年、劇作家・太田省吾氏の記事に魅了され、太田氏の劇団員募集広告に応募。研修生として採用され、同年の舞台「門」でデビューした。

 74年には太田氏が創設した劇団「転形劇場」に入団。82年には劇団に研究生として入ってきた現夫人と結婚した。劇団で活動する一方、80年には新東宝映画の「緊縛いけにえ」で映画俳優としてもデビュー。80年代には多くのピンク映画に出演した。88年の劇団解散後は、Vシネマを中心に出演する生活が続いた。

 かつて港町として栄えた故郷の小松島市は、本州四国連絡橋の完成でフェリーが廃止になり、さびれた。しかし、故郷への愛は変わらず、定期的に徳島に帰って映画の上映会やバンドのライブを開催し、つながりを持ち続けた。

 動物好きで、チワワの風ちゃんのほか、08年公開の映画「ネコナデ」で共演した猫(スコティッシュフォールド)・トラちゃんを引き取って飼うように。2匹の名前からとったブログ「風トラ便り」では、愛犬・愛猫の写真をたびたびアップしていた。

 高校時代にはサッカー部に所属。64歳で逝った父親は高校の校長だったが、両親の教育は放任主義。「そのおかげで好きなだけサッカーもできた」とも語っていた。大のサッカー好きで「今でも夢はサッカー選手」と公言。仕事仲間100人を超えるメンバーが参加するプライベートチーム「鰯クラブ」の発起人となり、背番号10をつけてプレーした。地元のJ2・徳島ヴォルティスの熱狂的なファンとしても知られ、プライベートでも何度もスタジアムで応援した。知識の深さを買われ、サッカー番組にゲスト出演することもたびたびあった。

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