武井壮「遠慮してたら一生この人たちに勝てない」パラ選手とのガチ勝負から学んだこと

スポーツ報知
パラアイスホッケーを日本代表の選手らとプレーし、そのレベルの高さや生き方に刺激を受けた武井壮(中央右=スポーツナビ提供)

 日本勢の活躍で大盛り上がりをみせた平昌五輪の余韻も冷めぬまま、9日からは平昌パラリンピックが始まる。十数年前からパラスポーツと関わり、この1年間、NHK総合「ひるまえほっと」の企画でパラアスリートとガチ勝負してきた、元陸上十種競技日本チャンピオンでタレントの武井壮(44)が、その魅力とアスリートの魂の強さを熱く語った。

 「パラスポーツは健常者スポーツを障がい者がやっているのではなく、新しいルールの新しいスポーツ。ぼくがポンと入って、彼らを倒せることはまずない」と、レベルの高さを強調する武井。車いすラグビーでは、筋力に自信があり選手より下半身が踏ん張れるにもかかわらず、いきなり置き去りにされた。「打ちのめされました。遠慮していたら、一生この人たちに勝てないと思った」。番組で「覚悟しておいてください」と対決姿勢をみせるのは、“百獣の王”でさえも本気で挑まないと勝てない、彼らへのリスペクトの表れでもある。

 これまで陸上競技や車いすテニス、ブラインドサッカーやパラアイスホッケーなど9つのパラ競技に挑戦した。「どれも印象的で、健常者のスポーツでは味わえない楽しさと技術がありました。もし僕が障がいを負うようなことになっても、障がいの程度に合わせた競技やクラス分けがあるので、10種くらい兼業でプレーしてもいいと思うくらい」と武井。ラグビーやバスケットボールを補助器具の車いすに乗ってやるのではなく、恐ろしいほどの動力性能を秘めた武器とボールを同時に操って戦う別競技で、全く違う楽しみがあると語る。「健常者でも参加できる試合はあるので、自分も出たいくらい」と本気で考えるほど魅力があると力を込める。

 選手の競技にかける強い思いにも心動かされた。番組ではパラアイスホッケー日本代表の柴大明(46)=東京アイスバーンズ=に密着。社会人1年目に事故で両脚を失い、失意の中でパラスポーツに出会い、同競技で2回の冬季五輪に出場するようになるまでの半生を取材。「我々は遊びの延長からスポーツを始めることが多いですが、パラスポーツは人によって事情は違うものの、一度(失意で)止まった自分の人生を力強く進ませるために必要な要素だったりする。柴さんも新たな可能性を見つけ、『足を失っても自分たちの可能性は失われていないんだ』という思いがあるから明るいし、感じる喜びも我々よりずっと大きい。僕らだってもっと(頑張れば更に)高いところに行けるのでは…という希望や可能性を感じてしまう」。2大会ぶり3度目のパラリンピック出場権を得た平昌にも同行し、メダルを目指す戦いを見届けるつもりだ。

 また、ブラインドサッカー体験では2時間近く目を隠してプレーしていたところ、自分に変化が現れたという。「見えないのに周りが明るくなった気がして、気配を感じられるようになった。人間って失ったものがあると、それを補うように(違う器官が)鋭敏になってくるんだなと思った」。最後はボールを追いかけられるようになったそうで、「その後、この感覚はすごく役立ちました。スポーツでは見えていない所の感覚ってすごく大事で、思ったように体を動かす(ヒントに)なったし、健常者スポーツどころか、日常でも役立つ」。限られた身体をフル活用するパラスポーツから学ぶことも多かったようだ。

 「ひるまえほっと」での企画は不定期で関東地区のみの放送だったが、4月からはBS1「武井壮のパラスポーツ真剣勝負!」として月1回レギュラー放送される(初回は4月8日・後7時)。平昌パラリンピックも、NHKは録画、ハイライトを合わせるとソチ大会の2倍となる62時間にわたり放送。「健常者がまだまだ知らない、楽しくエキサイティングなスポーツがあるんだという事を知ってほしいし、面白いなと思ったら体験してほしい」。

 課題は、車いすが使える体育館が少ないなど、できる環境がまだ限られていること。2020年までに認知度を高め、多くの人が東京パラリンピックで競技を実際に見て、環境整備が進んでくれれば…。パラ選手の思いに励まされた武井は、強く願っている。

 ◆武井 壮(たけい・そう)1973年5月6日、東京都葛飾区生まれ。44歳。神戸学院大時代に陸上を始め、97年に十種競技の日本チャンピオンとなる。第一線を退いた後は、米国へのゴルフ留学などを経験。30代から自らを「百獣の王」と称し、本格的にタレント活動を始める。現在もアスリートとして活動し、15年の世界マスターズ陸上4×100メートルリレー(M40クラス)で金メダルを獲得。アスリートチーム「EARTHLETES」代表。

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