「好きよ あなた~」は「だめよ そこは~」だった…吉幾三あかす、泥酔下ネタから生まれた名曲「雪國」

スポーツ報知
下ネタ満載だった余興ソングからミリオンヒットを飛ばした「雪國」について「一生の宝だね」と笑顔を見せる吉幾三(カメラ・橋口 真)

 日本の名曲の魅力に迫る「にHo!んの歌」。今回は、歌手生活45周年を迎えた吉幾三(65)の代表曲「雪國」。デビュー14年目の1986年に発売し、ミリオンを記録した。温泉旅行で披露した下ネタ満載の余興ソングを元に誕生した曲で、それまでのコミックソングから演歌へガラリと路線を変更。楽曲を提供し合うなど盟友の歌手・千昌夫(70)からの猛反対をはねのけて大ヒットにつなげ、「一生の宝」と自負する同曲について聞いた。(星野 浩司)

 冬の哀愁漂う名曲「雪國」が誕生したのは、暑さがまだ残る85年9月。「俺ら東京さ行ぐだ」のヒットを記念した温泉旅行で訪れた栃木・那須のホテルだった。

 「宴会でお酌のおねえちゃんを呼んでベロベロに酔っ払って、余興で歌ったのがこの曲。歌詞は『好きよ あなた~』じゃなく、『だめよ そこは~』と放送できない下ネタばっかりでね。泥酔して即興で作ったメロディーが良くて、テーブルの下にテープレコーダーを置いてたディレクターが『曲が良いからちゃんとした歌にしよう』となった」

 詞のイメージは、その冬にふと見たNHK「新日本紀行」から膨らませた。

 「雪煙を上げて北へ走る列車を見て、『追いかけて 追いかけて 追いかけて雪國』と最初に書いた。3回繰り返すのは他にないから、逆に面白いでしょ。その後、雪国に男が女を追いかけていく歌にしようと詞が出てきたんだよ」

 「俺はぜったい!プレスリー」「俺ら―」とコミックソングからガラリと変わった演歌。無謀とも言える急撃な方向転換に、千昌夫から猛反対を食らった。

 「こういう演歌を歌いたいと思ってたと千さんに伝えたら、『何、バカ言ってんだ。正統派な演歌で売れるわけがない』と怒られた。松田聖子や中森明菜が売れてた時代だからね。それで、千さんが『売れなかったら、今ある曲から俺が選んだ曲を出せ。売れたら裸で逆立ちして原宿の街を歩いてやるよ』と言ってた」

 千との“勝負”には大きな逆風が待っていた。86年のNHK大河ドラマ「いのち」への出演だ。

 「毎日のように撮影が続いて曲を全くプロモーションできなかった。脚本の橋田壽賀子先生から、俺の役は途中で死ぬからと言われてたけど、結局最後まで1年間出っぱなし。でも、何の宣伝もせずに有線放送でグーンときちゃった。バックオーダーが一日で5桁来たり。3連のメロディーが良かったのかな。直後に瀬川瑛子の『命くれない』が売れたり、演歌の転換期でもあったんだろうね」

 86年2月に発売後、宣伝はほぼゼロでミリオンヒット。千との賭けに見事勝利した。公約の行方は―。

 「六本木のスナックで2人でおいおい泣いたね。売れないって言ったじゃないかと言うと、千さんは『お前にプレッシャーをかけただけだよ』と。胸の中では何言ってるんだこのオヤジと思ったけど、2人で『これで紅白歌合戦は間違いない』と抱き合った」

 体が悲鳴を上げるほど多忙を極めた。TBS系「ザ・ベストテン」では1位に輝くなど上位の常連だった。

 「NHKで大河の撮影をしてたら民放のスタッフが土足で入ってきて、(共演の)三田佳子や役所広司を待たせて生中継したり。旅行先のハワイで深夜2~3時に猛暑で『雪國』を歌ったり。もう、めちゃくちゃ。橋田先生の台本は10何ページをワンカットでやるし、一番忙しい一年だった。500円玉くらいの円形脱毛症ができちゃったよ」

 86年にNHK紅白歌合戦に初出場。「雪國」は日本中にとどろいた。改めて歌い方のポイントを聞いた。

 「(ものまねタレント)コロッケが言うには、犬みたいに『好きよ~ヴヴゥ~』って歌うといいらしい。それは冗談で、俺の詞はシチュエーションとして浮かんでくるから、淡々と歌うことが大事なのよ」

 ベロ酔いで誕生した「雪國」。ヒットの印税収入も豪快に酒に使った。

 「『雪國』のレコード印税は全て酒です。5億円は飲みました。一晩で3~400万かな。当時は日本酒を抱いて飲んで、朝の番組は酒臭いまま出てた。5億も飲んだもんだから、腸のポリープが破れて、2~3回入院したよ」

 発売から32年。「雪國」は誰もが知る名曲となった。

 「この曲で演歌・歌謡曲の吉幾三がスタートした。日本に残る歌謡曲だと自負してます。海外でも歌われたり、娘(長女で歌手のKU)も英語でカバーしてくれたり。皆さんが育ててくれた曲だね。一生の宝です。ただ…正直言うと飽きました(笑い)。いやいや、歌い続けていきますよ」

 ◆音楽の勉強で来月から海外へ

 吉は45周年を記念した第2弾シングル「男うた」を7日に発売した。雨が降る夜に女性を思って酒を飲む男心を歌い、「歌詞の『ポーロポロ』は心の中で流す涙の音。情景を思い浮かべて聴いてほしい」と呼び掛けた。節目の年を終え、4月から仕事をセーブして音楽の勉強のため海外を周遊する。「日本と海外を行ったり来たりしながら、アメリカやキューバ、南米に行きたい。現地でいろんな音楽を感じて、作曲活動に生かしたい」と語った。

 【1986年の世相】

 ▼スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故▼ビートたけしが軍団とともに「フライデー」編集部を襲撃▼ソ連・チェルノブイリ原発事故▼土井たか子社会党委員長の「やるっきゃない」が流行語に▼プロ野球・広島の山本浩二が現役引退▼日本レコード大賞は中森明菜「DESIRE ―情熱―」▼NHK紅白歌合戦のトリは紅組・石川さゆり「天城越え」、白組・森進一「ゆうすげの恋」

 ◆吉 幾三(よし・いくぞう)本名・鎌田善人。1952年11月11日、青森県金木町(現・五所川原市)生まれ。65歳。73年に山岡英二の芸名でデビューも低迷。吉幾三に改名し、77年に「俺はぜったい!プレスリー」で再デビュー。84年に自身作曲で千昌夫が歌った「津軽平野」、千プロデュースによる「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。86年「雪國」でNHK紅白歌合戦に初出場(通算16回)。「酒よ」「酔歌」などヒット曲多数。30歳で寿佐子夫人と結婚。長女は歌手のKU(クー)、次女は女優・寿三美(ことぶき・みみ)。

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