立川左談次さん通夜…後輩の志の輔や志らくが別れ惜しむ

スポーツ報知
立川左談次さんの遺影

 今月19日に食道がんのため亡くなった落語家・立川左談次(たてかわ・さだんじ、本名・山岡通之、やまおか・みちゆき)さん(享年67)の通夜が25日、東京・町屋斎場で営まれ、噺家仲間ら約400人が参列した。

 亡くなる8日前まで寄席を勤めた故人が天国でも落語を披露できるように、棺には愛用の高座扇と手ぬぐいが入れられた。遺影には、闘病中ながら高座に上がった昨年9月の「渋谷らくご」での柔らかな笑顔の写真が用いられた。

 弟弟子の立川志の輔(64)は「立川流らしい軽妙洒脱な師匠でした。闘病される中、弟子のために(発声が十分でないため)スケッチブックを使ってまで最後の最後まで(高座を)やっていただきました」と感謝。同じ同門の立川志らく(54)も「正月の一門のパーティーで、普段はテレ屋であいさつはされない師匠なのに、思うところがあったのか『もう声が出ない。あとは頼むぞ』と仰っていました。いいかげんで、ふざけていて、病気も関係なく高座を勤めた本当の芸人。師匠のように肩の力が抜けた芸人はいません。ありがとうございました、と伝えました」と目を真っ赤にしながら語った。

 同時代を生きてきた三遊亭小遊三(71)が「がんでもオレはこんなにひょうきんにやっているぞ、という姿を見せていましたよね」と語れば、桂米助(69)も「最後まで生き様を見せてくれました」と同じ落語家として敬意を述べた。毒蝮三太夫(81)、高田文夫(69)、三遊亭円楽(68)、松村邦洋(50)らも姿を見せ、別れを告げた。

 東京都調布市出身の左談次さんは1968年に立川談志さんに入門。73年の二ツ目昇進で「左談次」を名乗り、82年に真打ちに昇進した。83年に談志さんが落語協会を脱会して落語立川流を創設したのに伴い、行動をともにした。2016年に食道がんであることを公表したが、その後も治療を続けながら高座に上がち続けた。

 葬儀・告別式は26日午前11時から同所で。喪主は妻・光子(みつこ)さんが務める。

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