「嘆きのボイン」、選挙落選、逮捕歴も…上方落語界の異端児・月亭可朝さん逝く

スポーツ報知
桂米朝さんの名誉市民墓お披露目式に出席した月亭可朝さん(16年11月)

 タレントで落語家の月亭可朝(つきてい・かちょう、本名・鈴木傑=すずき・まさる)さんが3月28日午前3時28分、急性肺線維症のため、兵庫県内の病院で死去した。80歳。9日、上方落語協会が発表した。通夜、告別式は近親者による密葬で行われた。人間国宝の落語家・桂米朝さん(2015年死去)の弟子だが、1969年にはコミックソング「嘆きのボイン」を大ヒットさせるなど、タレント落語家の先駆者として活躍。晩年はトラブルも重なったが、上方落語界の異端児として一時代を築いた。

 ちょびヒゲにカンカン帽、「スッポンメガネ」と称される丸メガネで、ギターを手にした異色の落語家が、芸歴60年の記念イヤーに、ひっそりと息を引き取った。

 関係者によると、今年3月半ばに「体の具合が悪い」と訴えていたというが、その直後の訃報だった。上方落語協会会長の桂文枝(74)は「ここのところ連絡が取れなくなり、心配していたのが現実となって、ショック」とコメントした。

 上方では文枝、笑福亭仁鶴(81)らと並ぶ、タレント落語家の先駆者だった。1958年に3代目林家染丸に入門したが破門され、3年後、米朝さんの預かり弟子に。2代目桂小米朝に改名した。「弟子に入った日から、ずっと小言を言われた。なぜなら私がなんにも用事をせんから」(可朝さん)という“不肖の弟子”だったが、68年に初代月亭可朝を襲名した。

 古典落語は本格派だったが、一方で、自ら作詞作曲した音曲漫談で開花した。69年に発表した「嘆きのボイン」が約80万枚の大ヒット。「ボインは~赤ちゃんが吸うためにあるんやで~」というインパクトのある歌詞が注目され、正統派の師匠とは正反対のエロ系の話術で一躍人気者に。71年放送開始のテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」も、当初は文枝(当時は三枝)らと司会を務めていた。

 人気絶頂期だった同年、参院選に無所属で立候補するため番組を降板。「一夫多妻制の実現」「銭湯の男湯と女湯の仕切りを外す」などを公約に掲げたが、落選。79年には野球賭博容疑で逮捕され、次第にマイナスイメージを帯びていった。博打(ばくち)好きが高じ、80年代半ばには借金が1億3000万円に膨れあがったが、「借金のタンゴ」のレコードを発売するなど、異端児らしい反骨精神をアピール。文枝は「面白くて規格外の方でした」と振り返った。

 01年には再び参院選に挑んだものの2度目の落選。08年には50代の元交際相手にストーカー行為を繰り返したとして逮捕されるなど、波乱に満ちた人生だった。関係者によると、ここ数年は弟子筋らと没交渉だったようで、唯一の弟子だった月亭八方(70)は「残念です。生前はお世話になりました、師匠・可朝に成り代わり御礼申し上げます」とのコメントを発表した。

 ◆月亭 可朝(つきてい・かちょう、本名・鈴木傑=すずき・まさる)1938年3月10日、大阪市生まれ。61年、桂米朝に入門。68年に月亭可朝を襲名。弟子に月亭八方、孫弟子に月亭八光、月亭方正らがいる。デビュー時は吉本興業所属だったが、米朝一門の事務所には所属せず、最後はフリーとして活動した。得意ネタは「算段の平兵衛」など。

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