萩原健一、22年ぶりシングル発売…48年前、ザ・テンプターズ解散をリークした秘話語る

スポーツ報知
アマチュア時代から現在までを赤裸々に語った萩原健一(カメラ・関口 俊明)

 昨年デビュー50周年を迎えた俳優で歌手の萩原健一(67)が、このほど初めて自身のレーベル「Shoken Records」を設立し、9日に22年ぶりとなるシングル「Time Flies」を発売した。全国ツアーもスタートし、「今が一番、音楽やってて楽しい。まだまだ現役でいたい」と鋭い目を光らせ、原点というアマチュア時代から、ザ・テンプターズでのブレイク、現在にいたる心境を赤裸々に語った。

 デビューから半世紀が過ぎ、ショーケンが新たな一歩を踏み出した。

 1996年の「泣けるわけないだろう」以来となるシングル「Time Flies」は、51年のキャリアで初めて自身が作詞、作曲を手掛けた3曲を収録した。過去に作詞はあるが、作曲した曲の発売は初。同時に自身のレーベルまで設立した。「50年やってきて、去年のツアーがうまくいったので、今までやってないこと、真新しいことをしてみたかった。ボイストレーニングもしょっちゅうしてるし、声は去年より良くなってるよ」と自信たっぷりだ。

 新曲は王道のロックな曲調に独特のシャウトが響き、67歳という年齢を感じさせない格好良さがある。日本語のことわざで「光陰矢のごとし」を意味する「Time―」をはじめ、テーマは原点回帰だ。萩原にとっての「原点」は、アマチュア時代に遡る。

 「原点っていうと、皆さん、グループサウンズ(GS)の頃に戻ったんだと思うだろうけど、僕にとっての原点はデビュー前。進駐軍の兵士たちが行く横浜のゼブラクラブとかで、ヤードバーズのブルースなんかをのびのびと歌っていた頃なんです」と力を込めた。

 中3の時にクローク係をしていたダンスパーティーで、腹痛で歌えなくなった女性ボーカルの代わりに、飛び入り出演したのを機にザ・テンプターズ入り。だが、ゼブラクラブで歌う時には「ベガーズ・バンド」などと、名前を変えて出演していた。

 テンプターズは複数のスカウトを受け、67年「忘れ得ぬ君」でデビュー。ボーカルの萩原は類いまれなカリスマ性で一気にスターダムに上り詰め、GSの最盛期を支えた。だが、萩原自身はデビュー時から、大きな違和感を抱えていたという。デビュー時の最たる希望は「衣装を着ないこと」だったが、あっけなく覆されていた。

 「プロになってみたら、いきなりお花畑にいる少年みたいな格好をさせられてさ、嫌で嫌でしょうがなかったんだよ。GSは決して僕の原点じゃないよ」

 アイドル的な扱いに、人気が出ても居心地の悪さは増していく。メンバー同士のけんかも絶えなくなった。70年、萩原は強硬手段で解散する。親しいスタッフにも告げず、自ら報知新聞社の記者に解散をリークした。「そうなんだよ! 当時はそうでもしないとやめられなかった。背中を自分で押したんですよ」と笑って振り返った。

 「何もかも更地にして、一度しっかり勉強したかった」。しかし、周囲はスーパースターを放っておかない。翌71年、ともにGSの一時代を築いたザ・タイガースの沢田研二(69)とのツインボーカルで、バンド・PYGに参加する。「余裕がなくて突っ走って、音楽はもう嫌だ、降参だったけど、嫌なことをやらない勇気もなかったんだ」

 PYGは実力者が集ったオールスターバンドと言われ、GSから本格的なロックサウンドへの脱皮を目指したが、1年ほどで事実上の解散となる。

 「散々アイドルで歌ってたのがロックなんて何様だと、反感を買ったんです。ライブでも腐ったトマトが飛んできたりした。偉い人は『ショーケンで1万人、沢田研二で1万人、合わせて2万人、ウッシッシ』なんて言ってたけど、200人ぐらいしか入らなかった」

 PYGから離れた萩原が進んだのは、俳優の道だった。72年、助監督として参加した映画「約束」で、降板した主演俳優の代役に抜てきされ、同年スタートした日本テレビ系「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事で俳優としての人気が爆発。その後も「傷だらけの天使」で演じたワイルドな探偵、「前略おふくろ様」の短髪の板前役などで、演技力は高く評価されていった。

 一度は音楽から離れたが、75年には初のソロアルバム「惚れた」を発売。79年、柳ジョージとの出会いを機に行ったライブツアーを収録したアルバム「熱狂雷舞」で、ロックシンガーとしての地位も確立。「大阪で生まれた女」「愚か者よ」などでも注目を集めた。

 その後も俳優業に重点を置きながら音楽活動を行ってきたが、昨年、50周年で初めてドラマ撮影中にライブを行う「掛け持ち」を経験。新たな自信を得た。

 「音楽もドラマも映画も時間がかかるので、音楽をやっている時には芝居の仕事をしないようにしていたけど、仕込みさえきちんとやればできるなと。それは長年の経験で得た技です。今はどれもセイムライン」。萩原ならではの一つの境地にたどり着いた。

 「健康であればまだまだ現役。休む暇はない。100歳まで生きるのが当たり前の時代だからね。50年たって、ああいう曲(新曲)が浮かんで、自分がやりたいことが素直に出てきた。より丁寧に、一曲一曲を大切にしていかないとね」。ショーケンは60周年、70周年へとまだまだ突っ走る。

 ◆新曲発売を機にツアーも回る 萩原は2日に東京・六本木のビルボード東京で、シングル発売記念ライブツアー(4か所16公演)をスタートした。

 昨年5月に初ライブを行った同所は、50周年で音楽活動を再開するきっかけとなったステージ。自らメンバーを選んだ「Shoken Band」の演奏とともに、2日の公演では新曲はもちろん、「ぐでんぐでん」「大阪で生まれた女」などのヒット曲に加え、1981年1月「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」の最後に歌った「ローリング・オン・ザ・ロード」も約37年ぶりに披露した。ツアーは全ての公演が1日2ステージ。13日に名古屋ブルーノート、30日、6月1、2日にビルボード大阪、6月9、10日にモーション・ブルー横浜で公演を行う。

 ◆萩原 健一(はぎわら・けんいち)本名・萩原敬三。1950年7月26日、埼玉県生まれ。67歳。ニックネームのショーケンは不良仲間のダイケン、チューケンから。67年にザ・テンプターズのボーカルとしてデビューし「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などがヒット。ソロの代表作に「ラストダンスは私に」など。俳優として映画「青春の蹉跌」(74年)、「影武者」(80年)、「居酒屋ゆうれい」(94年)などに出演。私生活では3度の離婚を経て2011年にモデルの冨田リカと結婚。

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