【平尾昌晃・生涯青春】(17)ルミ子と同時に五木もプロデュース

2017年3月1日14時0分  スポーツ報知
  • 平尾昌晃

 「私は結婚しない」というルミ子のひと言から、歌で嫁入りさせようとなった。作詞の山上路夫さんも「それ面白いね」と身を乗り出し、スタジオは“緊急会議場”に様変わり。「歌手時代に全国を回ったけど瀬戸内海っていいな。情景が目に浮かぶんだよね」と水を向けると、ガミさんも「それいいね」。「じゃあ瀬戸内海をテーマに詞を書いてよ。僕はメロを書くから」といってその場は別れた。

 2週間後、ガミさんが持ち込んだのが「瀬戸の夕焼け」「峠の花嫁」という2篇(へん)の作品だ。僕が「あんまり画(え)が見えてこないな」というと、マネジャーが「2つのタイトル一緒にしたらどうです。『瀬戸の花嫁』になりませんか」と。「いいね。それなら目に浮かぶよ」「これこれ」と即決。それから10日後に再会して、互いの創作したメロと詞を合わせたらこれがピッタリはまった。なんとサビの前まで合っていたから奇跡に近い。いじったのは 段々畑と さよならするのよ―の辺りだけ。間もなく完成し晋さんに聴かせると「いいね」と深くうなずいていた。私も三十半ばで友人の結婚式に呼ばれることが多くなり、ずっと花嫁に似合う曲を作りたいと思っていただけに、披露宴の定番曲として歌ってもらえるのは作家冥利に尽きる。

 ルミ子をプロデュースしながら、同時に五木(ひろし)君も手掛けていた。(山口)洋子ちゃんが彼にほれ込んでいて「一緒にやりましょうよ。いいわよ彼は」と誘われていた。洋子ちゃんとの付き合いは古く、実は彼女は私の“追っかけ”をしていたのだ。偶然、ジャズ喫茶「テネシー」で私を見かけてから追っかけが始まったらしい。当時、私は江の島から東京・原宿の狭い家に引っ越して兄らと一緒に住んでいた。当時はファンも自宅に押しかける時代だ。ちょっと恥ずかしくて西麻布の一軒家で一人暮らしを始めた時、しきりに家をのぞいていた女性ファンの一人が洋子ちゃんだった。「今日は家にいる」「深夜に明かりがついていた」とか毎日チェックしていたと言っていた。彼女は18歳ぐらいでもう銀座「姫」のママに納まり、年上のホステスを集めていたんだから偉いものだ。

 洋子ちゃんは五木君を「山のような土のようなにおいがする」と言っていたが、私は“海や港”というイメージだった。三谷謙という芸名で歌手をしていたが「プロ歌手として花を咲かせたい」と読売テレビの全日本歌謡選手権というオーディション番組に挑戦してきた。出身の福井県予選を勝ち抜いて本戦に進んできたが、予選会からプロがアマチュアと一緒に歌うのは並大抵の気持ちではない。背水の陣だったと思う。 (構成 特別編集委員・国分 敦)

 俳優、シンガー・ソングライター京本政樹「平尾先生の曲は子供の頃、五木さんの『よこはま・たそがれ』などを聴いて以来、どこかモダンなメロが好きな幼少時代でした。以前、水谷豊さんとカラオケに行き、五木さんの『夜空』は素晴らしい―。平尾メロディーのすごさを散々熱弁している僕に、豊さんが『政樹ちゃん、実は僕も先生の曲を歌っているんだよ』と。必殺シリーズで先生をリスペクトし自身で作曲をしたり、先生の『荒野の果てに』『旅愁』などの新アレンジまで手掛けさせていただいた私は、先生に曲を書いていただいたことがありません(苦笑い)。『京本ちゃんが詞を書いてよ、僕が曲を付けるから』。20年程前からお会いした時は決まってこの話に…。先生、そろそろお願いします(笑い)」

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