【平尾昌晃・生涯青春】(23)大のG党「長嶋さんが育てたチームが理想」

2017年3月9日14時0分  スポーツ報知
  • 平尾昌晃

 小学校4年生の時に後楽園球場に行ったことがある。NHKラジオから流れてくる志村正順アナの声がすてきだった。実況を聞いて水道橋に行けば野球を見られると思っていたのだろう。母に話したら電車賃をくれて江ノ電に乗り、藤沢から東海道線、東京から中央・総武線と乗り継いだ。よく一人で行けたと思う。夏で暑くてアイスキャンディーがおいしくて何本も食べたらお金がなくなってしまった。さて、どうやって帰ろうか。駅に行くと家路を急ぐ群衆。誰かに声を…と思ってもかけられない。そのうち身なりのいいおじさんが「坊や、なにやってんだ」。「おじさん、僕電車賃ないんです。藤沢まで帰れないです」と答えたら「これを持っていきな」とお金を渡してくれて帰ることができた。

 それだけ巨人の試合を生で見たかったのだ。贔屓(ひいき)は川上哲治、青田昇、千葉茂ら。物心ついてからもずっと巨人一筋。最初、友達になったのは柴田(勲)君だった。ジャズ喫茶にファイティング原田らと見にきたのがきっかけで仲良くなった。「今度外野席においでよ」とちょくちょく誘ってもらった。ゲーム中に彼がセンターフライを捕ると、こっちに寄ってきて「終わったら食事に行こう」。その場で約束をするようなのんびりした時代だった。

 長嶋茂雄さんには恐れ多くて近づけずにいたある日、知り合いのアナウンサーに静岡・大仁での自主トレの見学に誘われた。トレーニング中に僕の顔を見つけると、長嶋さんが「すごい人気だね。歌って女の子に相当もてているらしいじゃない」。声をかけられてうれしくなってしまった。以来、長嶋さんのとりこである。今でも江川、西本、松本、中畑、篠塚、山倉とか、長嶋さんが育てたチームが理想だと思っている。今、一番歯がゆいのは生え抜きの選手が少ないこと。FAがあるご時世、3分の1は外部でもいいから3分の2は生え抜きで戦ってほしい。ミスターが監督として巨人のユニホームを脱いだ1980年、ショックで西武球場に専用シートを買ったこともあった。今、報知新聞社の主催「ゴールデンスピリット賞」の選考委員を長嶋さんと務めているが、ご一緒する度に勉強になることばかりだ。

 原(辰徳)君はお父さんの貢さんからのお付き合いだ。大学卒業の時「巨人に入ってほしいな」と思っていたらドラフトで藤田監督が引き当ててくれた。入団後は自宅にも行かせていただき、彼が「ぼくの妹に」を歌うのを聴いて、あまりの筋の良さにアルバムのプロデュースをした。LP「サムシング」(82年)のメンバーには、沢田研二、吉田拓郎、長渕剛とそうそうたるメンバーが協力してくれた。そして結婚式もプロデュース。三浦友和・山口百恵ちゃん夫妻も来てくれた。(構成 特別編集員・国分 敦)

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(報知新聞社客員)「私と平尾さんは『同期』のようなものだと思っています。巨人に入団した昭和33年(1958年)、平尾さんもレコードデビューされ、ものすごく人気があったのをよく覚えています。実は当時、日劇のウエスタンカーニバルを見にいったこともあるんです。平尾さんたちの姿にファンが興奮しすぎてステージに上がったのをびっくりしながら見ていました。巨人をとても愛し、温かい激励の言葉をいただいたのも、とてもいい思い出です」

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