大仁田厚が7年ぶり7度目の引退試合で藤田組に勝利「ありがとよ!」

2017年10月31日21時17分  スポーツ報知
  • NOSAWA論外をサンダーファイアーパワーボムで仕留め、引退試合を白星で飾った大仁田厚(カメラ・泉 貫太)
  • 引退試合を前にしたセレモニーで感無量の表情を見せる大仁田厚

 ◆大仁田厚ファイナル・引退式(31日、東京・後楽園ホール)

 元参院議員でプロレスラーの大仁田厚(60)が31日、東京・後楽園ホールで行われた「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」最終戦「大仁田厚ファイナル 後楽園ホール大会・引退式」でプロレスを引退、リングに別れを告げた。大仁田の引退は2010年5月5日の新木場1stRING大会(ターザン後藤とのタッグで勝利)以来、7年ぶり7度目。

 後楽園ホールが火気厳禁のため、電流爆破デスマッチは29日に愛知・名古屋国際会議場で開催した「さよなら大仁田 最後の電流爆破in名古屋」で封印(異種格闘技ランバージャック・電流爆破6人タッグデスマッチで青柳政司に勝利)。引退試合は「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!!ストリートファイト トルネードバンクハウスデスマッチ」として行われ、大仁田は、“信者”の鷹木信悟(34)、KAI(34)と組んで、“最後の闘魂継承者”藤田和之(46)、ケンドー・カシン(49)、NOSAWA論外(40)組と対戦した。

 試合は場外乱闘から始まり、イス攻撃、机上パイルドライバーでNOSAWAを攻めた大仁田は、カシンの赤い毒霧で顔を真っ赤に染められた。藤田のスラムで有刺鉄線ボードにたたき付けられ、さらに有刺鉄線バットをたたきこまれてダウン。NOSAWAのギターを脳天から食らったが、続く有刺鉄線バット攻撃の寸前に、大仁田は赤い毒霧で反撃。藤田にも赤い毒霧を浴びせ、イス攻撃で圧倒すると、NOSAWAにこの日7発目のサンダーファイヤーパワーボムを決め16分48秒、エビ固めでフォールして、有終の美を飾った。

 リング上でマイクをつかんだ大仁田は「おい、おい、おい、おい。すいません、こんな嘘つきに、こんな弱い男に、たくさんの応援、ありがとうございます。1つだけ大仁田のいいとこがあります。絶対にあきらめないこと。絶対に夢をあきらめるな。今日は、今日は、今日は、今日はありがとよ!」と叫んだ。

 7年ぶり7度目の引退試合となる大仁田にとって、大々的な全国引退シリーズを経ての引退試合は1995年5月5日の川崎球場大会(ハヤブサに勝利)以来のこと。試合に先立って行われた引退セレモニーには元総務相の原口一博衆院議員(58)も激励にかけつけた。母・松原巾江さん(84)がリングに上がっただけで、号泣した大仁田。「試合終わった後、暗くなると嫌なんで、今、10カウントゴングやらせてください」とあいさつし、10カウントゴングを聞いた。そして「ありがとよ」と言ってマイクをたたきつけた。

 12月3日には東京・新木場1stRINGでトークライブ「大仁田反省会」を開催し、試合のレフェリーを務める。11月12日には群馬・伊勢崎市第二市民体育館で開催されるミスター・ポーゴ追悼試合に駆け付けるなど、常に乱闘含みのイベント出演が続きそうだが、25日に還暦を迎えた大仁田厚だけに、今回ばかりはリアルな引退と信じたい。(酒井 隆之)

 ◆大仁田 厚(おおにた・あつし)1957年10月25日、長崎県長崎市生まれ。59歳。1973年10月、全日本プロレスに「新弟子第一号」として入門。74年4月14日にデビュー。82年3月にNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得し全日本のジュニア戦線で活躍した。85年1月に左膝の負傷を理由に引退。タレント活動や飲食店を経営するも挫折し、89年10月にFMWを旗揚げする。ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチなど過激なデスマッチ路線で人気を獲得したが、95年5月に2度目の引退試合を行った。96年12月に現役復帰、以後、引退試合を復帰を繰り返す。2001年4月には明大政経学部経済学科に入学。同年7月には自民党から参院選に出馬し当選。10月31日の試合が「7度目の引退試合」となる。身長181センチ、体重100キロ。

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