藤波が、初代タイガーが、武藤がドン荒川さん生前の豪快秘話明かす

2017年12月2日14時17分  スポーツ報知
  • 荒川さんの秘話を明かした藤波、初代タイガーマスク(左から)、武藤(右端)

 プロレスラーのドン荒川(本名・荒川真)さんが亡くなったことが2日、分かった。71歳だった。複数の関係者によると亡くなったのは11月5日。死因は不明という。ゆかりのあるプロレス関係者が生前の荒川さんとの秘話を明かした。

 新日本プロレスで共に切磋琢磨した「ドラディション」を主宰する藤波辰爾(63)は「新日本が立ち上げたころから一緒の仲間でムードメイカーみたいな存在でしたね」と振り返った。特に「宴会になると彼の名前が必ず出るような、後援者からの受けも特に良くて盛り上げ方も豪快だった」。

 酒が好きだった荒川さん。ある時、坂口征二と試合後の旅館で飲んだ時に「酔っ払って大浴場の風呂に彼が突き落とされたこともあった」という。レスラーとしては「実力があったし、とにかく力が強かった。ベンチプレスも200キロぐらい軽く持ち上げていた。面白いキャラクターでしたが、そういう力の裏付けはあった選手だった」と評価した。折に触れ藤波の自宅に電話がかかてきたという。「ひょこっとかかってきて、元気ですか?なんて話をしていたんですけど。ここ何年か、その電話もかかって来なくなって気にはしていたんですが…寂しいし残念ですね」と悼んでいた。

 新日本プロレスで先輩だった北沢幹之さん(75)は「とにかく豪放磊落な人。場を盛り上げることがうまくて、いつか、道場でどれぐらい飯が食えるかの競争になって荒川はご飯16杯、味噌汁10杯、食べたことがあった」。そして、「その後が荒川らしいんだけど、バケツ2杯分、吐いたんですよ」と振り返った。「いつもニコニコしていて酒と飯が強くてね。面白い人だった」。

 「リアルジャパンプロレス」を主宰する初代タイガーマスクの佐山サトル(60)は「豪快で楽しい人だった。明るくて楽しかった話をいっぱい思い出します。青春時代の大先輩でした」としのんだ。佐山の入門当時は若手の教育係で「コーチ役だったんですが、楽しいんですよね。そんな荒川さんがお亡くなりになって寂しくて仕方がありません」と声を落としていた。

 新弟子時代に荒川さんがコーチ役だった「WRESTLE―1」の武藤敬司(54)は「荒川さんが教えるやり方は合理的じゃなかったんですよ。なぜかフラダンスやったりね。なにしろあの人はアマレスの試合でドロップキックをやったぐらいの人でしたから。当時、荒川さんは中性脂肪が高くて数値が1000ぐらいあったんですよ。それでオレたちに走れ走れって言って走ってばっかりでね。でも、それが遅くてね。ちんたらちんたら走らされて、それで太れ太れって言われて、あれだけ走ったら太れるわけないですよ」と懐かしそうに荒川さんの指導を振り返った。

 中でも忘れられないのが、1984年9月に長州力が仲間のレスラーを引き連れて新日本から大量離脱した時だった。「ちょうど、長州さんたちが出て行った日にオレと橋本(真也)が荒川さんに連れられて千葉の栄町のソープランドに連れて行ってもらったんですよ。深夜遅くまで道場に帰ってこないから、坂口(征二)さん、藤波(辰爾)さんが道場に来て、“武藤も橋本もいない。あいつらも連れていかれたか”っててんわわんやになっていたらしいんですよ。そんな中、オレと橋本は良い気分で道場に帰ってきて、“なんだお前ら帰ってきたのか”って泣かれるぐらい喜んでくれてさ。荒川さんって言うとその時のことを思い出すよね。とにかく若手の面倒見が良かった人だった」としのんだ。

 試合は、ストロングスタイルの新日本の中でコミカルな動きの「ひょうきんプロレス」で前座戦線を沸かせたが「荒川さんの試合はオレらレスラーも面白くてね。荒川さんが試合の時は控え室から出てみんな見ていたんですよ。あの人の試合は、めちゃめちゃアドリブだったから面白かったんですよね」と知られざる実力者だったことを証言した。

 武藤は、今年7月26日に後楽園ホールで行った自身が主宰した「プロレスリング・マスターズ」に荒川さんへ参戦オファーを出していたという。「人を通じて打診したんだけど、体調が悪いって言って断られてね。今となっては余計に残念ですよね」と寂しそうに思いを振り絞っていた。

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