【アントニオ猪木と村松友視が明かす『アリと猪木のものがたり』〈2〉】アリキックは、かつて見た映像からヒントを得ていた 

2018年1月2日10時0分  スポーツ報知
  • 猪木はスライディングしながらアリの左足めがけて右の蹴りを放った

 1976年6月26日。アントニオ猪木対ムハマド・アリの一戦。1ラウンドのゴングが鳴ったと同時に猪木はスライディングしながらアリの左足めがけて右の蹴りを放った。意表を突く猪木の攻めに日本武道館はどよめいた。

 しかし、観客の期待は、ため息に変わった。猪木が、ほぼ、寝ころんだ状態からの蹴りに終始したからだ。後に「アリキック」と呼ばれた攻めを貫いた背景は、ひとつにはルール問題があった。アリ側から、立った状態での攻撃、頭突き、肘打ち、膝蹴り、投げ技…これらすべての禁止を要求され、受け入れた。

 「試合直前まで毎日、夜中までルールを交渉してオレはその結果をホテルの部屋で待っていた。あまりにも何でもかんでも要求してきた。だけど、オレは最終的には“何でものんでやれ”って指示したんですね。なぜなら、逆にこっちにとって一番のダメージはアリがリングに上がらないで米国に帰られてしまうことだった。悪口を書きたいヤツは山ほどいたわけだから、アリが帰ってしまえば“ほぉら、ざまぁみろ”って言われるのが目に見えていましたから。オレ自身、“とにかくリングに上げさせれば、どんな形でも料理して片づけてやる”っていう自信があった。だから全部のめと指示したんです」

 立った状態での攻めを禁じられた猪木にとって寝て蹴る以外にほぼ戦法はなかった。

 「ルールで制限があったから立って蹴れない。危ないのは、蹴りに行く時にパンチを食らうことだった。寝ころんで蹴る攻めは、オレも計算したわけじゃないけど、本能的というか意表を突くっていうか、そういう部分もあった」

 一方で「アリキック」には、過去の記憶からひとつのヒントがあった。

 「以前、力道山が木村政彦と試合をする前で、柔道家と拳闘家が対決する柔拳っていうのがあって進駐軍に慰問で来た映像を見たことがあった。また、米軍の基地で柔道対ボクシングとかそういう戦いがあったんですね。その映像を見ると、柔道家がボクサーや銃剣を持った相手と戦う時に寝た状態で攻める姿を見たんです。その時の記憶がどこかにあってあの攻めが本能的に出たのかもしれません」

 「アリキック」はがんじがらめのルールだけで生まれた苦肉の策ではなく、映像で見た柔道家の戦法が礎にあった。一方、猪木の蹴りを浴び続けたアリの心理は、どうだったのか。「アリと猪木のものがたり」(河出書房新車刊)を執筆した直木賞作家の村松友視さんは、この試合が実現するまでの心の揺れ動きを推察する。

 「アリは米国がプロレスの本場だと思っている。アメリカの一流のプロレスラーはいくらでも知っているし、若い頃から見てきてショーとしてプロレスが好きだった。その感覚で猪木へ向かっていったと思う」

 「猪木対アリ」が実現する導火線は1975年春。渡米していた当時の日本レスリング協会の八田一郎会長が帰国時に「アリがオレに挑戦する東洋人はいないかと言っている」とサンケイスポーツの取材に明かしたことで火が付いた。これに猪木が名乗りを上げ、まさかまさかの連続で試合が実現した。

 アリにとってプロレスとは、一流のショーという認識で「猪木が共有する価値観はまったくなかった」と村松さんは指摘する。そんなアリが試合へ向かう過程で猪木への価値観を劇的に変えた試合があったと村松さんはみる。76年2月6日、ミュンヘン五輪柔道無差別級、93キロ超級の金メダリスト、ウィレム・ルスカとの異種格闘技戦だ。

 「五輪の金メダルを続けて取ったルスカは、プロレスは単なるショーで試合でも何でもないというアリの価値観の中でも、リアリティのある存在だったはず。そのルスカと猪木さんがあの試合をしてみせた。それをプロレスだと受け止めたとしても凄いプロレスで今まで自分が見てきたプロレスとは違うと思ったとボクは思うんですよ」

 見たこともない異質のプロレス。アリの中で混乱は、猪木が自らの発言にかみついてきたところから始まったと見る。

 「そもそも、自分のリップサービスから始まった。最初はサービス精神だったと思う。そうしたら本当にかみついてきた人がいてビックリした。最初は毛嫌いする感じで逃げていたんだけど、そのうち“プロレスをお互いにやるならやってもいいよ”という気になったりした。ところが、最後の最後まであんなシリアスな試合をするとは思わないまま、時が刻一刻と刻まれていったというのが本当のところじゃないかと思う」

 エキシビションマッチだと思ったアリ。ところが、猪木はすべてを拒否した。驚いたアリ陣営は、受け入れるはずはないという目算の下、無謀なルールを要求。ところが猪木はすべてを飲んだ。

 「アリは、試合へ向かう途中で猪木に対立構造を見極められなくなったと思う。猪木と向かい合うとどうしても自分が上位になってしまう。アリの生き方の中で自分が上で弱者と戦うのは、対立構造が崩れてしまう。一方の猪木は、相手は確固たるボクシングの世界ヘビー級チャンピオンでこれは、十分にターゲットとして成り立つ存在。それはずっと普遍的で猪木の中でこの試合への価値観が成立していた。アリは猪木に近づけば近づくほど対立構造がなくなって、それはリングの中に入って余計そうなったはず」

 アリにとって対戦相手との「対立構造」は、試合へ臨む上での重要な動機付けだった。その「対立構造」が猪木戦では崩れた。

 「アリと猪木がリングでパッと顔を合わせた途端に何かがあったと思う。それは猪木にとっての変化よりもアリにとっての変化が大きかったんじゃないかと思う。試合が始まり、アリは猪木がこれだけ寝続け、蹴り続けて寝ては立ってを繰り返し、“こんなものプロレスラーのトレーニングだったらすぐにバテるだろう”と思っていたはず。それが、だんだん、“あれだけ蹴り続けるエネルギーとスタミナって何だろう”って混乱してきた。だけど、猪木は、ずっと同じだった。あの試合で猪木は一切、プロレスラーをやっていない。逆にアリが始めは一生懸命プロレスラーをやろうとしてた。だけど、仕留めきれないという部分で2人とも同じストラグル(もがき。苦しみ)に入った」

 42年前、アリの心理を読み解く村松さん。もちろん、アリが亡くなった今、それが真実かどうかは謎だ。しかし、「過激な観客」にとって、まるで歴史上の出来事を想像するように、これほどの贅沢はないだろう。そんな村松さんが解けない謎があった。6ラウンドだ。(続く) 

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