【アントニオ猪木と村松友視が明かす『アリと猪木のものがたり』〈終〉】北朝鮮で遭遇した猪木とアリ、村松さんが聞いた「くるみの音」、今も生き続ける伝説の一戦

2018年1月8日10時0分  スポーツ報知
  • 会見でポーズを取るアリ(左)を見つめる猪木

 1976年6月26日。日本武道館で戦ったアントニオ猪木とムハマド・アリ。世紀の凡戦と酷評を受けた両雄は、戦いの中で溶け合い、そして試合後に友情が芽生えた。

 1995年4月28、29日。猪木は北朝鮮の平壌で「平和のための平壌国際体育・文化祝典」と題したプロレスイベントを開催した。ゲストにアリを招いた。

 「アリは当時、北朝鮮へ行くまで一切、マスコミには出なかったんですね。あの時は北朝鮮へ行くことが米国政府から許可が出ない状態で日本に来たんです。それで出発ギリギリになって許可が出た。そのころはパーキンソン病を発症していたから、アリは成田空港に着いた時にバスのステップを自力で一段づつ昇るのもやっとの状態でね。そこは誰も見ていないアリの姿だった。ところが、北朝鮮に行ってマスコミの目にさらされるという無防備な中でカメラのフラッシュを浴びた。そうすると翌日、バスに乗るのがやっとだった状態のアリが階段を一気に上がったんですね。フラッシュを浴びることによってよみがえったというか。その時、感じたのは、アリはアリで引退後の自分を見せたいという思いがあったんだろうなという。これは、人に見てもらいたい見せたい評価してもらいたいという人間が持っている本能。それは仕方のないことで、ただ、その持ち方によって全然変わってしまう」

 猪木が招待した北朝鮮訪問を受け入れたことでアリの人生も変わったという。

 「北朝鮮に行ったことが報道され、その姿を見たアトランタの市長がその後、アリの下を訪れ、あのアトランタ五輪の聖火台に立つことになったんです」

 96年7月19日。アトランタ五輪の開会式でアリは、聖火を点火した。

 「アトランタでの聖火も北朝鮮に行ったからこそできた。あの聖火台に立つか立たないかでアリへの評価もまったく違っていたはず。そういう一歩、踏み出す勇気というか、それによってアリの人生が変わった」

 直木賞作家の村松友視さんは、猪木とアリが訪問した北朝鮮に同行していた。昨年11月に出版した猪木対アリをテーマにした「アリと猪木のものがたり」(河出書房新社)でアリと遭遇した秘話をつづっている。最終章で記されたこの逸話は、「くるみ」というキーワードが現実と幻が交錯するような音を奏で甘美でもあり不気味でもある香りが漂う。

 「あれが一番非現実的だった。北朝鮮という幕に覆われたような不気味で常に遠雷が聞こえているような怖さというか全部、現実が作っている虚構の中で、そういうものを打ち消す本当の虚構がくるみの音になったんじゃないですかね。すごいアリとの遭遇ですからね」

 現実の音が虚構のように聞こえた秘話。まるで、それは猪木対アリという巨大なテーマの正体でもあるようだった。つまり、2人が戦ったことは紛れもない現実だけれども、時間が経つとまるでファンタジーのような響きが生まれるようなあの一戦。だからこそ「伝説」と呼ばれるのだろう。村松さんが明かす。

 「あの音を聞いた時はそんなことは考えていない。パーキンソン病で大変なんだけどアリがアリを演じているんだなということで過ごしていたんだけど、時々思い出す時、人に話すとき、あのくるみの音をしゃべっている。それが頭とか耳の奥に刷り込まれているというのはね、何かそこから意味が出てくるんじゃないかって考えたんです。猪木対アリを書こうと思った軽い引き金ですね」

 すべての出発点は、あの一戦だった。猪木にとってのアリはどんな存在だったのか。

 「自分が人生の中で影響を受けた人間を何人かあげろって言ったら、まずは祖父。力道山。これは絶対的存在だった。そして、アリ。政治家になって自分なりの行動を、オレの場合は外交一本しかしていませんけど、その中でアリのおかげでアントニオ猪木という名前が世界的に売れた。プロレスという枠とは別の価値観を与えてくれた存在ですね」

 2016年6月3日。アリは74歳の生涯を閉じた。

 「パーキンソン病を抱えながら、よく長生きしたと思います。すごく強烈な肉体をもっていたんでしょうね。ただ、元気でいたらアリの存在はまた違ったものになっていたんだろうという思いはあります」

 アリの死。猪木は昨年10月に生前葬を行った。死生観を明かした。

 「人はいつかお迎えがくる。その中で今、老人社会で、誰もが元気で長生きしてくださいって言う。これは当たり前なんだけど、タブーの言葉になってしまうんでなかなか言えないことなんだけど、元気で長生きすればいいんだけど、長生きだけしてもしょうがないじゃんって思う。あの世に旅立つのも元気じゃなきゃ旅立てない。90歳生きたのか、100歳まで生きたのかは関係ない。その生きている時間をどう燃焼できるのか。オレなりにカッコつけて言えば死ぬ時もカッコつけて死にたいと、そういう思いはあるんですね」

 今年2月で75歳になる猪木。「カッコつけて死にたい」という境地を果たすためには、大切なことを明かす。

 「真実かウソか。オレは背中を見せて猪木ファンに見せていかなれけばいけないと思っている。今は、政治もパフォーマンスばかり。パフォーマンスは悪いことばかりじゃなくて、いろんな形のパフォーマンスがある。その中でいろんなことの気づきがある。そのためにはいろんな批評する人が大切なんです。そういう外から見られるような目があった方が自分自身では気がついていない部分に目が行くようになる。そういう意味で、オレにとって村松さんとの出会いは非常にありがたかった」

 村松さんの言葉によって救われたという猪木。では、村松さんにとって猪木はどんな存在なのか。

 「猪木さんの試合を見なかったらプロレスのことを書かなかった。書かないと言うことは会社を辞めてなかったと思う。辞めなかったということは作家になっていなかった。ということは、今の人生はなかったんですね」

 そして、「猪木とは」を続けた。

 「答えは出ないですね。未確認物体かな。かつて猪木さんが立ち上げた団体のUFOですよ。いまだに謎で分からない。ただ、包容力というのか。人に恨みをもたない。何でも受け入れる。何か野心家でいろんなことを意図的に計画するっていうイメージがあるじゃないですか。そうじゃない。ものすごい自然体でなるようになるさっていう姿勢を崩さない。よく猪木さんは“バカになれ”っていう。ボクも“村松さん、バカになりましょうよ”って何回言われたかわからない。だけど、バカになるってことは頭から余計な考えを消してね。この意味の幅の中には、すごいレベルのバカと普通のバカがいるわけで、それを全部持っているような人かな。プラスマイナスとか。ボクはそういうものをもてあそぶのは好きなんだけど、猪木さんは自然に体の中に入っている」

 猪木が応じた。

 「オレのことを語ってくれる人がいてありがたい。勲章をもらいましたけど、勲章をもらいたいと思って、それはそれで大事だと思う人は必死になって戦えばいい。でもオレなりにすごいのをもらったっていう思いは一切ないんですね。それよりも語ってくれる人の言葉でそこから勉強し学べることが何より重要なんです。オレっていう存在を削っていって、アントニオ猪木って何だろうっていう磨きを自分なりにかけることができる。いつも評価してくれなくていい。ただ、村松さんみたいに見ていてくれることがありがたい。今回も今、村松さんがアリ戦を書いてくれて自分なりにそうなんだなっていう気づきがあった」

 「バカになれ」の真意を明かした。

「バカになれってなかなか難しい。今は時代が裕福すぎて、他人の痛みを感じないですべて他人事みたいに捉える風潮がある。そうじゃなくて、自分が思っているものをさらけ出す。それは、他人からすれば理解できないことかもしれない」

 42年前、猪木は、すべてをさらけ出してアリに挑んだ。そして、時を経て村松さんが伝説の一戦をを掘り起こした。凄まじいまでの「試合の生命力」。最も幸せなのは、今も生き続ける猪木対アリを味わえる「過激な観客」なのかもしれない。(終わり。取材・構成 福留 崇広)

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