鈴木みのるの断髪で思い出す、36年前のラッシャー木村の逃走劇…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
鈴木みのるは自らの手で髪を切った

 4日に東京ドームで行われた新日本プロレス「WRESTLE KINGDOM12」で、私が最も熱視線を注いだのが鈴木みのる(49)と後藤洋央紀(38)のNEVER無差別級選手権試合だ。この試合は敗者髪切り&ノーセコンド・デスマッチとして行われた。

 元王者の後藤がタイトルを奪回するために、王者・鈴木の挑発に応じて、髪をかけて挑戦した。昭和のファンとしては、新日本の髪切りマッチと言えば、1982年9月21日に大阪府立体育会館で行われたアントニオ猪木VSラッシャー木村を想起せずにいられない。木村の“はぐれ国際軍団”に加担したストロング金剛が試合中にハサミを持ち出し、場外戦でアニマル浜口が猪木の髪を切るという暴挙に出た“事件”だ。

 激怒した猪木はイスで浜口、金剛をメッタ打ちし、木村に延髄斬りを見舞って完勝。流血した木村は国際軍団に抱えられるようにして花道を去って行った。当時はパンチパーマだった木村の“断髪式”がセッティングされようとする中、猪木は木村がいないことに気付き「木村どこ行った? 木村は?」とマイクをつかんで訴えた。逃げたことを知ると、鬼の形相で「てめぇら男の恥を知れ、コノヤロー!」と叫んで永久追放を宣言。このマイクアピールで“あわや暴動”の事態を収拾したのだった。

 そんな興奮を思い出しながら見たヘアマッチ。当時の国際軍団のように悪逆非道な鈴木軍が介入できないように、ノーセコンド・デスマッチとなった。フェンス内にセコンドなし、場外カウントなし、決着はリング上のみという完全決着ルール。鈴木がいきなり、裸締めで後藤を締め落とし、リングドクターが“介入”する波乱の幕開けとなったが、鈴木はドクターも蹴散らして、後藤を攻め続けた。

 息を吹き返した後藤は、雪崩式牛殺しなどで逆襲。鈴木軍のタイチがリングに入ろうとしたが、後藤はエルボーで撃退し、最後はGTRで鈴木から3カウントを奪った(18分04秒、GTR→エビ固め)。

 ここで鈴木軍が逃げた。TAKAみちのくらが、大将の断髪を阻止するため、控え室に連れて行こうと花道を下がったが、鈴木はそれを振り払って自らリングに戻った。用意されたイスを、自分で用意したイスで払いのけて腰を下ろし、自らバリカンを入れた。トレードマークの馬のたてがみのようなモヒカンヘアを自ら刈り、イスの上にその髪を置いて堂々と去っていった。

 バックステージで、鈴木は大荒れだった。ゴミ箱をぶちまけ、「撮んなよ」とポールを振り回してマスコミを遠ざけたが、“善行”の照れ隠しに見えた。王座を奪回した後藤は「潔く髪を切ったのは真の格闘家としての強さだと思う」と鈴木に敬意を表した。こんな後味の“良い”遺恨マッチの決着は、今の新日本プロレスのスマートさのなせる業だろう。

 36年前は次の大阪大会で猪木が国際軍団の寺西勇の髪をハサミで切り、“浪速っ子”の留飲を下げたが、木村は髪を切らずじまい。時代を超えて、鈴木が落とし前をつけたのだった。しかし、王者としてベルトをかけているのに、髪をかけるのは後藤だけで良かったんじゃないかと今さらながら思った。(酒井 隆之)

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