【東京ドーム30年】マイク・タイソンがKOこけら落とし…IBF剥奪!?

スポーツ報知
1988年3月23日付報知新聞3面 

 日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドーム(東京・文京区後楽)が今年30周年を迎える。1988年3月17日にオープニングセレモニーが行われ、翌18日に巨人・阪神のオープン戦がこけら落としイベントとなった。今年は巨人の宮崎キャンプが60年、夏の甲子園(全国高校野球選手権)が100回大会と節目が重なるが、東京ドームもメモリアルイヤーだった。その30年の歴史をスポーツ報知の紙面で振り返る。

 ◆1988年3月23日付3面

 3月21日に行われた統一世界ヘビー級王者・マイク・タイソン(当時21歳、米国)のWBA・WBC世界ヘビー級タイトルマッチは、トニー・タッブス(同30歳、米国)を2回2分54秒、左フックでKOし、日本ボクシング史上最多の5万1000人をのみ込んだ東京ドームに世界最強をアピールした。

 報知新聞社後援の興行でもあり、文句なし1面ネタだったが、残念ながら翌22日は新聞休刊日だった。そのため、1日遅れての掲載となり、3面扱いだった。

 決戦翌々日発行となるとストレートニュースは難しく、中継した日本テレビの平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)が28.8パーセント、瞬間最高視聴率が41.5パーセントを記録し、海外40か国にも衛星中継されたことをネタにして「世界のお茶の間 4億人が見た」という見出しになった。22日に米国へ帰国したことから「来年またくるヨ」というのんきな見出しもついており、KOの衝撃が薄らいだ紙面になってしまった。

 この時のタイソンはIBFも含めた3冠統一ヘビー級王者だったが、当時の日本ボクシングコミッション(JBC)がIBFを認定していなかったため、日本ではWBA、WBCの2冠防衛戦となった。これに対してIBFが「タイトル放棄とみなす」と警告し、タイトル剥奪を表明したという外電も小さく掲載されている。後の記録では、この試合で、IBF王座も防衛したことになっている。

 タイソンが東京ドームで、ジェームス・ダグラスにKOされ、すべてのタイトルを失ったのは、この2年後の90年2月11日のことだった。(資料探偵・酒井 隆之)=毎週土曜日午前9時に配信=

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