「今、やらないといけないことが自分の中では分かってます」…飯伏幸太70分間インタビュー(2)

スポーツ報知
「今、やらないといけないことが自分の中では分かってます」と言う飯伏幸太

 女性ファンの心をわしづかみにするルックスと強さを兼ね備えたプロレスラーとして抜群の人気を誇るのが飯伏幸太(35)=飯伏プロレス研究所=。最高の舞台・新日本プロレスで大暴れの一方、バラエティ番組にも引っ張りだこの「ゴールデン☆スター」は「常に進化しか考えてません。プロレス界の歴史を変えたいと思っています」と豪語。70分間に渡って熱い思いを語った。(ペン・中村 健吾、カメラ・小泉 洋樹)

 ―路上プロレスの一方で新日の東京ドームのような大会場での大会にも出場した―

 「どっちも僕は好きなんですけど、それに合ったプロレスっていうものを自分の中の感覚で感じます。こうやったら、この雰囲気の会場は盛り上がるなと。今まで全部、感覚で生きてきたので、全てそれに任せようかなと。正直、去年と一昨年の1年半くらいの間ですけど、すごく試合数を少なくしていて。2団体を同時に辞めてからですけど。その頃は考えてプロレスをやっていたんです。自分がどうやったらいいんだろうとか、考えるプロレスをやってしまって、ダメになった。感覚を使わずに(頭で)やった。それがダメだった。ダメだったといういい経験をしたなっていう」

 ―確かに2016年2月の新日、DDTの2団体同時退団は衝撃だった―

 「一般的に仕事を詰めすぎてとか、試合が多過ぎてキツくなってという話になってますけど、そういうことは何にもなくて。問題はそこではなく、いろいろ考えることが増えて、このままでいいのかな、プロレスは。自分はこの先、自分のやりたいプロレスじゃないプロレスをやっていていいのかなと。考えてプロレスをやろうという気持ちが出てきてしまって、ああいう形になってしまった。もっといいプロレスになると思っていたのにと(周囲に)言われたし、そうなのかなと思ったら、どんどんずれていきましたね。自分の感覚でやらなくなったというか」

 ―過去に「飯伏がいればプロレス界は安泰」と言った棚橋弘至、「飯伏は今までいなかった、ちょっと特別な存在」と言った中邑真輔ら周囲の期待も大き過ぎた?

 「そう言われて、その人たちはどうやっているんだろうと考えると、ちゃんと考えてやっているんですよ、みんな。みんな、考えたプロレスをやっているんです。その影響を受けた部分もあって、自分も考えてみようみたいな。でも、自分はそういうタイプじゃなかった。感覚で動いてきたプロレスラーなんで。結局、今振り返ると、自分の感性が一番なのかなというところに戻ったというか。今、はっきり、それが分かったという感じです。それが当時はぶれていたんです」

 ―自分は「感覚派」とつかめたのはいつ?

 「去年(8月)の(新日の)G1(クライマックス)の後くらいからは気持ち的に『あれ、もしかして感覚でやった方がいいんじゃないか、やっぱり』みたいな。11月くらいのシリーズに全部出て、棚橋さんとタイトルマッチ(インターコンチネンタル選手権試合)をやったあたりでは、もう、そうなってました。G1から11月までにははっきり変わってました。少しずつです」

 ―“素顔でなく”試合に出た時期もあったが、当時は迷走していた?

 「迷走ですね、間違いなく。結局は迷走です」

 ―きっかけになる試合があった?

 「それはないですね。ここで一気に変わったということはなくて、少しずつ。G1で自分の感覚、感性を少しずつ取り戻して、その後のシリーズくらいから『やっぱり、そうだな』という確信に変わったという感じですかね。1・4(Cody戦)の頃はもう完全に感性でしかやらなかったです。100%、今の自分に戻ってました。G1が始まる頃は感性でやるプロレスがやや怖かったのに」

 ―なるほど―

 「2団体でやっていた頃は感性で試合しなくなっていたと思います。その頃は分からなかったことだけど、今思うと、いろいろな人に影響されて…。葛藤してましたね。この2年くらい、ものすごい葛藤してましたけど、今は消えてます」

 ―吹っ切るように今は親交のある元サッカー日本代表MFの岩本輝雄さん(45)も驚くような、すごくハードなトレーニングをしている―

 「岩本さんから『一緒に練習しよう。見せてくれ』って言われて、動画をいくつか送ったんですけど。『やばい! 現役サッカー選手でもこんなのできないよ』って言われて、そうなんだって初めて知って。全部、自分で作ったメニューでプロレスの練習でやるメニューではないんです。動画で拾ってきたわけでなく、自分で考えたメニューなんですけど、(他のレスラーも)みんな着いてこれない」

 ―具体的には?

 「分割してやってます。30分を分割して、一瞬、すごく動く。動いてダメージ受けて倒れて。試合でも動いている時間って45秒くらいなんですよ。45秒くらいをフルパワーで動いているんです。それで、どっちかの技が決まって、どっちかがやられるという感じが一番多いのかなと言うのを、この10年くらいで学んで。その45秒くらいを本当にフルで動いて20秒休んで、また45秒動く。そういうメニューを組んでます。走る時もただ走るだけじゃなくて、ランニングマシンでも傾斜やスピードを2分ごとに変えてやっています。ずばりプロレスの動きですね。追い込む時は追い込む日でウエートトレーニングの日はまた分けて。全然、別々でやってます。特に走る系のトレーニングはやれても1時間くらいなので。それ以上やっても壊れますね」

 ―他のレスラーとは全く違う―

 「みんなは同じサイクルで回すんですよ。今日、腕をやったら、次の日は胸、その次は足、そして戻って腕、胸、足と決まったサイクルがあるんですけど、僕は道場に着くまで無心で行ってます。扉を開けた時に、その日する練習が決まります。自分の状態、どこが足りないのか、人ってそれぞれ筋肉の付きやすい場所っていうのはあるはずだし、偏ってくるんですよ、そのやり方でやっていると。その時の感覚でそこを鍛えます。この間、腕やったけど、また今日も腕だなと思ったら、腕をやるし。そこも感覚でやります。今日、やりたくないなと思ったら本当にやらないし、その代わり動画を見たり、いろいろ研究してますね」

 ―それだけハードにやるのは、もっと強くなりたいから?

 「強くなりたい、うまくなりたい、もっと表現の幅を増やしたいっていうのが自分の中であります。今の自分のプロレスに対して。そのための体力の維持だったり。表現するための体力が欲しいからトレーニングをしています」

 ―日々、進化している―

 「自分が進化したプロレスをやっていたんだなとかは後で分かることだと思います。将来、何年か後とかに。休んでいた1、2年の間にいろいろなものを見て。他のスポーツだったり、他の格闘技だったり、いろいろなものを見て、自分の中に取り込んだ感じですね。それがすごく良かったなって。僕、実は結構、努力してますね(笑い)」

 ―精神的な鍛錬も?

 「アマチュアの格闘技って一番、感情が出るっていうか。今、(前田日明主催の不良たちの総合格闘技大会)アウトサイダーとか見ているんですけど、ああいう地下格闘技って、昔あった感情や本当に悔しい時の感情を見ることができる。彼らは勝ったら本当に喜ぶんですよ。全部、そういうのが見れるのが、地下格闘技。今、その感覚を自分にも取り入れたいなと思ってます」

 ―2014年から芸能プロダクション・オスカープロモーションにも所属。バラエティーにも引っ張りだこ。「スター選手」と言われることをどう思う?

 「スターとか思ってないんで。自分ではそれはどうでもいいことで」

 ―現在、35歳。旬の時を迎えている?

 「今、やらないといけないことが自分の中では分かってます。今、やるしかないってことも分かってますし。それで選んでいるのが、今の舞台、新日本プロレスなんで。一番見ている人数が多いのが、新日本プロレスなんで。新日本プロレスに出ながら、いろいろなことしていきたいなってのがあります。まだ、僕は新日本プロレスのヘビー級で結果を残していないので…。ケニー・オメガとのタッグ(ゴールデン☆ラヴァーズ)も始まったけど、ケニー・オメガは1人(シングルマッチ)で結果を残しているけど、自分は残していないので。自分は1人の部分でも新日で結果を残したいっていうのはあります。シングルでもタッグでも結果を残したいなと。どっちもあります」

 ―来年の1・4東京ドームのメインも狙う?

 「来年は、もっと人数が増えていればいいと思います。(観衆)4万も? 行きたいですね。最後はIWGPヘビー? 最後はそこを目指したいなってのはありますね。昔からの夢でもあったし、どのベルトが一番っていうのはないけど、やっぱり、ファンから見たら、IWGPヘビー(が一番)ってのは揺るがないわけじゃないですか? だから、やっぱり、IWGPヘビーのベルトが欲しいってのはあります」

 ―なるほど―

 「でも、自分の中で好きなベルトは、やはり、インターコンチ。(ベストバウトを取った)中邑(真輔)さんとやったし、自分が神と言った棚橋(弘至)さんが持っていたベルトなんで。あのベルトっていうのは合っているというか、欲しいなとは思います」

 ―中邑は今、米WWEで大成功している―

 「中邑さんとはまたやりたいですね。今の中邑真輔と。WWEですごいことになってますもんね。興味あります。それには、自分がもっと新日本プロレスで活躍して、もっともっと上に行って、海外でも名前を売れないと無理だろうなというのもあるし。あと、契約の問題もありますし。でも、そういうのをぶち破っていきたいなというのはありますね。団体関係なく。WWEって、絶対に契約がないとできないと、みんな思ってますけど、そんなの関係ないところまで持っていくという(笑い)。やります。呼ばないと行けない状態まで持って行きたいと思います、僕は」

 ―実際に16年にWWEからの誘いがあった―

 「普通に契約をして欲しいと。でも、断りました。もともと行く気がなかった。中邑さんは成功しましたけど、行って分かった感覚として、中邑さんがいるから、もう自分はいいやという感じになりました。たぶん、僕は中邑さんよりは上に行かない気がしました。雰囲気を見て。常にどこでも一番になりたいというのがあるので。中邑さんがいなかったら、たぶん、自分は入っていると思います。もうWWEには興味ないですけど、中邑真輔には興味あります。中邑さんから日本興行がある前には連絡があります。まあ、体は一つしかないので、うまい選択をしていかないといけないなとは思います」

 ―これからが注目―

 「新日本プロレスというか、プロレス界の歴史を変えたいと思っていて。これからですね。変えて行くのは自分次第だし。変えられなかったら変えられなかっただけど、絶対に変えられるっていう自信があるんで」

 ―オスカープロモーションと契約のもと、タレント活動も目立つ―

 「プロレスを見ることのきっかけになってくれればいいかなと。なんか、おかしなヤツいるなと思って見たら、おかしいだけじゃないなと。僕がきっかけで新日本プロレスの(ウィル)オスプレイを見て、ものすごい飛ぶなでもいいし、やっぱり、入り口になりたい。一番には飯伏幸太のファンを増やしたいっていうのがあるんですけど、二番目にはプロレスに目が行けばですけど…。一番には自分が!っていうのはあります」

 ―プ女子人気もすごい―

 「うれしいです。ほめられてうれしくない人はいないと思うんで、もっと増えてくれればいいし、女性だけでなく、男性もっていうのはありますね。最近、会場に子供たちが増えてきたので、それが一番うれしいですね。プロレスが盛り返してきている証拠なのかなと感じてます」

 ―子どもがマネできない危ないこともしてきた―

 「先生とかの知り合いもいるけど、今の小学生はそういう危ないことを全くしない。危ないことをしろって言っているわけじゃないんですけど、僕の場合は挑戦するってこと。何事も挑戦して欲しいなと思ってますね。勉強でもなんでもいいんで。僕はたまたまプロレスだっただけなんですけど、サスケさんとか見て、挑戦する気持ちが生まれたんで。小学生でも中学生でも常に挑戦して欲しいですね。上を目指して欲しいというか、欲を出して欲しい」

 ―2018年は大きな年になる?

 「かなり大きいですね。この1年でかなり変わると思います。ここでどうなるかで来年、再来年が変わってくると思います」

 ◆飯伏幸太(いぶし・こうた) 1982年5月21日、鹿児島・姶良(あいら)市生まれ。35歳。キックボクシングや新空手に熱中後、2004年7月、DDT東京・後楽園ホール大会でのKUDO戦でレスラーデビュー。09年からは新日本プロレスに参戦。ケニー・オメガとのタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」で活躍。11年にはIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。13年、DDTと新日のダブル所属を発表。15年にはAJスタイルズの持つIWGPヘビー級王座に挑戦するなどエース格に成長も16年2月、両団体からの退団を発表。個人事務所・飯伏プロレス研究所を設立し、フリーランス選手として各団体のリングに立つ一方、路上プロレスなどの活動も。愛称は「ゴールデン☆スター」。181センチ、92キロ。

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