国際軍団からIGFインターへ続く“はぐれ”の美学…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
はぐれIGFインターナショナル旗揚げ戦での鈴木秀樹(左)と奥田啓介

 4月4日はアントニオ猪木引退20周年だった。東京ドームに7万人(当時の史上最多記録、主催者発表)を集めた1998年の引退試合(ドン・フライ戦)から20年がたった。アントニオ猪木参院議員(75)は、東京都内のホテルで記念パーティーを開き、ブラジル日本移民110周年を記念した格闘技大会「INOKI ISM.3」を8月31日に大田区総合体育館で開催することを発表した。

 20周年パーティーと同じ頃、新宿FACEでは、新団体「はぐれIGFインターナショナル」の旗揚げ戦が行われていた。猪木氏が創設したIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション、直訳すると猪木遺伝子連盟)からはぐれた藤田和之(47)、ケンドー・カシン(49)が東京愚連隊のNOSAWA論外(41)と共闘してできた団体だ。

 “はぐれ―”とは、かつて猪木(以下敬称略)の敵役だった“はぐれ国際軍団”のオマージュ…というよりパロディだ。ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇が1981年に国際プロレスが崩壊したことによって、新日本プロレスに漂流してきた時の俗称だ(正式には新国際軍団)。同じ年に全日本プロレスを脱退して新日本にやってきたタイガー戸口が、“はぐれ虎”と呼ばれるなど、猪木新日本は、他団体との優位性を見せつけるべく、“はぐれ”=ヒール(悪役)として蔑んだのだった。

 そもそも猪木も日本プロレスを離脱して、東京プロレスを旗揚げ(1966年)するなど、はぐれの悲哀を経験している。東京プロレスには若き日のラッシャー木村、マサ斎藤も参加していた。はぐれの系譜は、イノキゲノムそのものと言えそうだ。

 さて、「はぐれIGFインターナショナル」の旗揚げ戦だが、メインイベントは藤田、カシン、NOSAWAのトリオが、“大仁田の遺伝子”田中将斗(45)、保坂秀樹(46)、黒田哲広(46)とストリートファイト有刺鉄線ボードトルネードデスマッチで対戦するという、猪木イズムからはかけ離れたハチャメチャなものだった。猪木氏が見放したIGFからはぐれたわけだから、邪道スタイルに行き着くのは当然の帰結か。

 その“はぐれ道”をきわめたのが、第2試合に登場した奥田啓介(26)だ。高校時代の2009年にIGFでデビューし、拓大レスリング部を経て、IGFで再デビュー。ミャンマーの究極格闘技ラウェイにも挑戦するなど実戦志向が頼もしい。昨年、猪木サイドとIGFが訴訟騒ぎとなり、猪木氏がIGFを去った後も、“一人IGF所属”を名乗っていたはずだった。

 その奥田がなぜ“はぐれ”のリングに上がったのか。実は、3月末にIGFは、猪木氏と今後は一切関わらないことを条件に和解し、商号を「アシスト」に変更することを発表。中国を拠点に置くプロレス団体「東方英雄伝」に転換した。もうIGFはなくなっていたのだった。

 奥田は同じくIGFでデビューした先輩、鈴木秀樹(38)とタッグを結成し、“邪道よりもタチの悪い”バラモン兄弟(シュウ&ケイ)と対戦。とにかく非道(ひど)い試合だった。水をまき散らす場外乱闘、スーツケースとボウリングの球での急所攻撃。2度にわたる両者リングアウトを経た再々試合も大荒れとなり、レフェリーが「ルールからはぐれ、そしてリングから幾度となくはぐれ続けたため、レフェリーストップによる両者引き分けと致します」と説明。女性リングアナが「レフェリーストップ、TKOによりドロー」とアナウンスするハチャメチャ裁定となった(公式記録は両者リングアウト)。

 試合中には、鈴木が「バラモン兄弟さん、僕と真剣勝負してください」とマイクアピールし、UWFインターナショナル時代の田村潔司が高田延彦へ放った名ゼリフをパロった。はぐれIGFインターナショナルのロゴは、Uインターのそれに似せてあり、UWFからはぐれたUインターへのオマージュでもある。

 鈴木とバラモン兄弟が手を組み「はぐれバラモン」を結成。バラモン兄弟の墨汁攻撃によって上半身を黒く染められた奥田は、「はぐれの中で、また俺をはぐれさせるつもりなのか。やってられねぇよ。はぐれの中でまたはぐれた。知るか、ボケ」と叫んで消えた。まさにバカサバイバー。

 ふと思い出した。はぐれ国際軍団のアニマル浜口が、大将のラッシャー木村と仲間割れして、長州力と維新軍団を結成するかしないかの頃、新日本のパンフレット「闘魂スペシャル」に「はぐれ軍団からはぐれて…」というパロディーが載っていた。はぐれから「気合だ」でのし上がったアニマル浜口の知名度は、今やアントニオ猪木と肩を並べる。はぐれには男の美学が詰まっている。まだ20代の奥田には、はぐれ経験を糧に、勝ち残り、成り上がってほしい。(酒井 隆之)

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