【武藤敬司、さよならムーンサルトプレス〈17〉エース兼現場監督だった長州力との戦い】 

スポーツ報知
ミサイルキックを決める武藤

 衝撃の凱旋帰国を飾った武藤敬司。一瞬で日本のファンの心をわしづかみにした裏で左膝を負傷した。2年前に半月板を除去した右膝に続き左膝に爆弾を抱え、凱旋帰国はそのまま両膝との戦いの始まりでもあった。

 舞台裏では苦境に立たされた一方で新日本プロレスは、武藤の凱旋を期に一気に橋本真也、蝶野正洋との闘魂三銃士をリングの中心に据えるマッチメイクを展開した。5月にはエースの長州力が3人と連続でシングルマッチを敢行。武藤は5月24日、東京ベイNKホールで長州に挑んだ。

 「もう前田(日明)さんのUWFとかがいなくなったから、2度目の凱旋帰国で意識したのは、やっぱり長州さん、藤波辰爾さんとかの先輩だったよね。あの時のターゲットは橋本とか蝶野ではなかった。一方で馳(浩)とか(佐々木)健介といった下からの突き上げもあったよ。三銃士は、中間管理職じゃないけど上と下に挟まれた感じだったよね」

 初めての長州との一騎打ちは、ムーンサルトプレスからの原爆固めで追い込み、さらにアントニオ猪木の必殺技「卍固め」をも繰り出し革命戦士を追い込んだ。しかし、最後はリキラリアットの前に沈んだ。当時、藤波が椎間板ヘルニアで長期欠場中。長州はリング上ではエース、外ではマッチメイクを担当する現場監督として選手を管理していた。

 「当時の長州さん?オレにとっては気に入らない感じだったよ。多分、それは多くの若い選手がそう思っていたと思う。目の上のこぶですよ。恐らく長州さんは、オレと正反対のスタイルなんだよ。デビューしてから今までずっとそのキャラクターを守り続けているよね。入場のパワーホールから始まって、サソリ固めとラリアットで試合を決めているあのスタイルは全然、変わらないよね。一方でオレなんかフニャフニャフニャ変わっていってさ。入場のテーマ曲なんかいくら変わったか分からない」

 真っすぐな長州。変幻自在の武藤。スタイルの違いはあれど、それぞれが個性を貫いていた。

 「あの時の新日本は、みんながラリアットを使ってたからさ。周りの人たちは、みんな長州さんがそれを強要して長州もどきを作っているようなイメージあるけど、それは違うよ。長州さんは強要していないと思う。こういうスタイルでやれって言ってなかったと思う。むしろまったく逆だよ。健介とか天山(広吉)とかが(長州さんに)寄って行ってたよな。まぁ長州さんは感性が普通の人と違った。それが、きっといい時と悪い時があった。オレ自身、それを不満に感じた時もあったし、それは他の選手の中に多くいたかもしれない」

 凱旋帰国から一気に武藤は輝きまくった。それは三銃士も同じだった。橋本が5月28日に大阪府立体育会館で長州に3人の中で真っ先に初勝利。三銃士の新たな波が新日本を覆った。勢いに乗った新日本は、8月に1週間連続で後楽園ホールでシリーズを開催。メインイベントは、すべて闘魂三銃士が務め、連日、超満員札止めを記録した。三銃士が新日本の中心になった時、武藤に新たな展開が待っていた。グレート・ムタ見参だ。(敬称略)

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