「ジョージ高野」と「ザ・コブラ」を同じ会場で取材…2人が残した共通の言葉とは…

スポーツ報知
20日の「ドラディション」で16年ぶりに復活したザ・コブラ

 かつて新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、ジョージ高野(59)を20日、「ドラディション」後楽園ホール大会で取材した。

 試合前、リングサイドで関係者と話をしていた時だった。ジョージが通路を歩いていた。往年の名レスラーの近況を聞こうと取材を願い出ると快く受けてくれた。「久々の試合ですから緊張しますね。どうなりますか」と真っ先に口にした。しかし、この日の対戦カードに「ジョージ高野」の名前はラインアップされていなかった。「果たしてどこで試合に出るのか?」。まさに素顔を見たような気がして私の胸の鼓動は高鳴った。

 ジョージは大相撲を廃業し、1976年に新日本に入門。190センチ近い長身と甘いマスクで将来を嘱望された。メキシコからカナダへ海外武者修行を行い、あの「ムーンサルトプレス」を初めて披露したレスラーとしても知られている。しばらく、その名前と活躍は成りを潜めたが86年7月のシリーズで突如、登場し89年にはスーパーストロングマシンとのタッグ「烈風隊」でIWGPタッグ王座を獲得した。中堅レスラーとして重要なポジションにいたが、90年4月に大手眼鏡販売チェーン「メガネスーパー」が母体となる新団体「SWS」へ移籍し、弟の高野拳磁らと共に「パライストラ」を結成し道場主となった。

 SWSへ移籍した理由を「ジュニアでは、IWGPは取れなかったけど、NWA、WWFとベルトを取ってやり尽くしましたから。ヘビー級で勝負したかったからSWSへ行ったんです」と告白。しかし、SWSはわずか2年で崩壊。その後は様々なリングを渡り歩いたが、いつからか名前を聞くことはなくなっていた。

 レスラーとしての活動を「私は常にプロレスラーですから。いつもコンディションは整えています」と断言した。その一方で「建築関係の仕事をしています」と明かし、現在の住まいを「この前は北海道とか」と不明な部分はあったが、仕事については「北海道から九州までいろんなところに行っています」と充実している日々をうかがわせていた。

 弟で破壊力満点のドロップキックで「人間バズーカ砲」の異名を持つ高野拳磁の近況も聞いた。「彼は今、ロサンゼルスに住んでいます」と明かした。仕事を聞くと「この前も人命救助をして表彰されてましたよ」とこちらも充実しているようで、再び兄弟タッグでリングに登場する日はないのだろうか?と尋ねると「そういう機会があれば、ぜひとも実現させてみたいですね」と笑顔を浮かべていた。

 この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。

 試合後、コブラはいつ以来の試合かと問われると「長い時間が経っていますね。確かゼロワンの福岡のボウリング場があるところ以来」と振り返り、2002年8月24日、ゼロワンの博多スターレーン大会以来、約16年ぶりの復活だったことを明かした。久々のリングに「尊敬する先輩みなさんのリングなんで私もとても光栄に感じております。これからの課題として、藤波さん、そして、ここのリングに参加する方々が努力してさらにお客さんをたくさん呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り先輩のお役に立てれば光栄かなと考えております」とレスラーとは思えない丁寧な口調で言葉をかみしめていた。

 ファンの声援に「うれしかったですね。私はプロレスしかできない男ですから。すべて人生、プロレスにかけてきたんで。こうしてまた、藤波さんのリングで立たせてもらうこと、スタッフの皆さんに感謝しますし、先輩方はじめご来場のファンのみなさまにこの場を借りて御礼を申し上げたいと思っております。次の課題としてさらにご声援いただけるように、残り成長していい試合できるように頑張っていきたいと思います」と意気込み「課題は山積してますので、特に今の業界は以前の昭和プロレスの黄金時代のように、藤波さん、先輩方通じて時代をまた迎えられるように、みなさんで一丸となってがんばって、お互いの目標の課題をひとつひとつクリアして結果が出るように頑張っていきたいと思います」とまだまだ現役を続ける考えも披露していた。

 かつて新日本で抗争を展開したヒロ斉藤とのタッグは「海外ではね。メキシコ、カナダで」と明かしたコブラ。その上で「彼の力で私もコブラとして活躍できるようになったので非常に感謝しています。コブラは一人でできたわけではないので。師匠アントニオ猪木さんのおかげであり、先輩方、それを支援していただけるファンの方、心より感謝いたしております。残りの人生、リングでできる限り、やらせていただければいい」と感謝の思いを吐露していた。

 全盛期の体重は99キロ。この日、リングに登場した姿は、明らかに増量していた。20日の試合後、記事と写真をネット配信すると主に批判的なコメントが殺到した。コブラ自身は「見た方の印象で。徐々にリングに慣れていくといい試合につながるっていけると考えています」と気にする様子はなかった。そう言えば、試合前、ジョージも全盛期と比べてお腹の辺りが明らかに膨張していた。そのことを聞くと「ヘビー級になりたくてSWSへ行ったので、そのままの流れで今の体になっています。まぁ、不安はありません。いい試合につながると考えています」とコブラと同じ言葉を残していた。

 ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)

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