大仁田厚氏、馬場元子さんの訃報に涙「第2の母親でした」

スポーツ報知
大仁田厚氏

 プロレスラー、ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で元全日本プロレス社長の馬場元子(ばば・もとこ)さんが14日に肝硬変のため亡くなっていたことを23日、全日本プロレスが発表した。78歳だった。馬場さんの弟子で元参院議員の大仁田厚氏(60)は23日、関係者から元子さんの訃報を受け「心からご冥福をお祈りします」と悼んだ。

 16歳で全日本プロレスに入門した時に、馬場夫妻から息子のようにかわいがられた大仁田氏。付き人として家庭にまで入り込んで身の回りの世話をしたといい、「馬場さんと元子さんがけんかした時は、馬場さんが僕に『お前、元子呼んでこい』と部屋まで呼びに行って仲直りしたり、ちょうど実の母親と離れていた時だったので、元子さんが第2の母親でした」と大仁田氏は涙ぐんだ。

 1999年1月31日に馬場さんが亡くなった時には、病院に駆け付けることができたが、当時は他団体のFMWを旗揚げして反目していたため、葬儀には参列できなかった。元子さんは電話をかけてきて「大仁田くん、ごめんね。いろんなしがらみがあるから」と表向きは門前払いしながらも、裏では気配りをしてくれたという。

 昭和のプロレス界にはさまざまな離合集散があり、複雑な人間関係がからんでいた。シビアに線引きをできる元子さんがいたからこそ、馬場さんは葉巻を吹かして笑っているだけですんだ。「いろんな意味で、馬場さんの防波堤になった人だった」と大仁田氏は元子さんの内助の功をしのんでいた。

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