馬場さんと長州力から評価された保永昇男氏 プロレスの職人が明かす全日と新日の違いとは?

スポーツ報知
トークイベントで現役時代を振り返る保永氏(左)と上井氏

 新日本プロレスなどで活躍した元プロレスラーの保永昇男氏(62)がこのほど、神奈川・川崎市の溝ノ口劇場で初のトークイベントを行った。

 今回のイベントは新日本でかつてマッチメイカーなどを務めた上井文彦氏(64)が企画した「UWAI de Night」。特別ゲストに新日本の旗揚げメンバーでUWF、リングスなどでレフェリーとして活躍した北沢幹之氏も出演した。上井氏が「私が知る限り、このお二方はプロレス界で良識あるベスト1、ベスト2です」と明かしたように、現役時代の秘話など終始、和やかな温かいムードでトークは進行していった。

 保永氏は、1979年に23歳で新日本に入門した。84年9月には長州力と共に新日本を離脱しジャパンプロレスの設立に参加。85年から全日本に参戦し約2年間、新日本のライバル団体で戦いを重ねた。87年からは長州と共に新日本へUターンし、IWGPジュニアヘビー級王座を3度獲得するなどジュニア戦線で存在感を発揮。98年4月に現役を引退し、レフェリーへ転身。現在もレフェリーとしてリングに上がっている。

 ゲストとして登場した北沢氏から84年に第一次UWFへ在籍した当時、新弟子時代から指導してきた保永氏を新日本から引き抜こうと計画していたことが明かされた。「ものすごくマジメな子だったんで、こっちに欲しいなぁと思ったんですよ」と北沢氏。実際、保永氏を当時、世田谷区にあったUWF道場へ連れてきたことがあったという。この時、上井氏はUWFの営業社員で「めったに道場に行くことはなかったんですが、たまたまその時、道場に行ったんですよ。そうしたら保永さんがいたんです」と目撃していたことを告白。その時、保永氏は、ちゃんこに入れるイワシのつみれを作っていたという。「黙々と指でいわしを三枚におろしているんですよ。確かこの人、新日本の人なのに、何でここでいわしをおろしているんだろうと思ったんです」と明かした。

 引き抜きを考えた先輩レスラーに連れらて来られた他団体の道場でちゃんこの準備をしていた保永氏。人柄を表すこの秘話を保永氏は「覚えていません」と苦笑いしていた。

 当時の第一次UWFは、前田日明、佐山サトル、藤原喜明、木戸修、高田延彦ら個性溢れる選手が集まり、キックと関節技を主体とした新たなスタイルを打ち出していた。もし、北沢氏の念願通り保永氏がUWFへ移籍し、あの中に飛び込んでいたらと想像すると、リング内外で対立を繰り返したUWFの歴史も変わっていたかもしれない。

 イベントでは全日本時代に、あのジャイアント馬場さんから高く評価されていたことも明かされた。特別に馬場さんからお小遣いももらってことがあったという。「全日本の選手から、“オレたちもらったことないのに、いいなぁ”とうらやましがられましたよ」と照れ笑いしていた。

 新日本時代は、現場監督を務めていた長州力から絶大な信頼を受け後輩レスラーにプロレスを指導していた保永氏。イベントでは大谷晋二郎、高岩竜一、金本浩二からビデオメッセージが届けられ、全員が「保永さんからプロレスを教えていただきました。本当に感謝しています」と言葉を届けていた。

 リング上では決して目立つ存在ではなかった。どちらかと言えば脇役が多かった保永氏。そのいぶし銀のスタイルは新日本と全日本という昭和から平成にかけてしのぎを削った2大団体で高い評価を受けた。それは、あのUWF道場で黙々といわしを3枚におろしていたように、どんな状況に置かれても黙って自らの仕事に徹した姿勢に馬場さんも長州も「プロ」を感じたからではなかったか。

 イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。

 「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。

 簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の場合はそういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。水と油とも言える2つの団体。その言葉からは自らの思惑を超えて「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。(記者コラム・福留 崇広)

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