「ピッチャー石毛」投げないはずが、長嶋監督のいつものクセで緊急登板 勝利の方程式ストッパー石毛博史氏インタ

2017年12月5日16時0分  スポーツ報知
  • 巨人時代の93年7月、セーブを挙げ長嶋監督に迎えられる
  • 独立リーグ・06ブルズでコーチを務める元巨人の石毛博史さん
  • 札幌円山球場での巨人ー広島戦、接戦をものにし、最後を締めた石毛はナインとハイタッチする 1993年7月14日

 長嶋巨人で“勝利の方程式”を担った守護神が、次世代の選手育成に奮闘している。1988年のドラフト外で巨人に入団し、150キロを超える剛球と鋭く縦に落ちるスライダーを武器に93年のセーブ王に輝いた石毛博史さん(47)は現在、関西を拠点にする独立リーグ、ベースボール・ファースト・リーグ(BFL)の「06(ゼロロク)ブルズ」と富山の中学生硬式野球チームでコーチを務め、プロにつながる技術と心構えを伝えている。指導者としての今、現役時代に担った「抑え」の苦悩やミスターとのエピソード、夢を語った。

 近鉄移籍から始まった大阪での生活は20年になる。05年に阪神で現役を退いた後、スポーツ用品店勤務を経て、09年から元近鉄・村上隆行監督(52)の要請で関西独立リーグ「大阪ゴールドビリケーンズ」コーチに。12年からはBFL「06ブルズ」に場を移し、選手の夢を応援している。同リーグの選手は無給で、石毛さんもボランティアだ。

 「教えることは面白いですが、伝える難しさも感じています。選手がNPB(日本野球機構)に行く手助けとなる指導をしてあげたいので、伝えるのは技術よりも人間性の部分が多いかもしれません。スカウトは普段の行動も見ているよ、と。NPBに行った子もいるのでヒントは与えられているのかな、と思います」

 (10年育成ドラフトで巨人に入団した岸敬祐投手を09年に大阪ゴールドビリケーンズで、16年ドラフト6位で阪神に入団した福永春吾投手を13年から2年間、06ブルズで指導)

 ヤングリーグに加盟する富山の中学硬式野球クラブ「BANDITS YOUNG」の指導も請け負っている。

 「6年ほど前、ある会社の社長から『野球塾をやってほしい』と言われたのがきっかけです。そのうち人数が集まり、チームを作ろうと。そのオーナーの会社に所属し、野球を教えることで給料を頂いています」

 88年に巨人入団。“8時半の男”宮田征典投手コーチの薫陶を受け、93年は開幕から抑えを担った。8回・橋本清との継投を長嶋監督は「勝利の方程式」と命名。30セーブを挙げセーブ王に輝いたが、最も充実感に満ちていたのは前年だという。

 「抑えは『クローザー』とも『ストッパー』とも言いますが、僕は『ストッパー』でありたかった。相手の勢いを止める、という意味で。キャリアハイだと思う92年(52試合、88回1/3、123奪三振、防御率1・32)は、6回から4イニングを投げた日もあります。93年のタイトルは、お膳立てされて取らせてもらったもの。早い回から毎日でも投げ、気持ちで抑えにいく“炎のストッパー”と呼ばれた津田(恒実)さん(広島)を見本にしていました」

 一番強く印象に残るのは、1994年10月8日、ミスターが「国民的行事」とした中日との同率対決。槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱で優勝を決めた試合だ。

 「ブルペンで見ていましたが、本当に手に汗握る試合でした。桑田さんの場面を任せてもらえなかったのは、自分の弱さですね。投げたかったという思いと、すごい試合を経験できたという思いが交じった一戦でした」

 ミスターは予測不能。

 「長嶋さんが監督に復帰された93年。当時の開幕戦は毎年、斎藤さんが完投勝利を挙げていたんですが、その年初めて出番が来て抑えたんです。斎藤さんがウィニングボールを集めていたのは知っていたし、僕も欲しかった。でも、復帰初勝利ですから。ベンチ前で監督に渡したら、すぐにスタンドに投げたんです。斎藤さんには怒られるし、僕も欲しかったしで(苦笑)」

 神宮でも“事件”が。

 「ある時、4連投ぐらいしていた僕を休ませよう、となって。ブルペンにはいましたが、キャッチボールもせずにいた。すると突然『ピッチャー、石毛』とアナウンスが。コーチは直前にも念を押したらしいんですが、クセで(名前が)出たんでしょう。抑えましたけどね。そういう時の方が言い訳できるから気楽で」

 救援失敗が続いた時は、スタンドから厳しい声が飛ぶこともあった。

 「別に気にはならなかったですね。勝つ時もあれば、負ける時もある。一度、試合後に車を囲まれて怖い思いをしましたが、それまでの貢献は無視して団体で責めるのはフェアじゃない、と思っていました。ただ、“抑えて当たり前、負ければそいつのせい”と、抑えが背負うものは、球団には理解してほしかった。まだ抑えの評価が低かった時代。ハイリスク、ローリターンな役回りでした」

 97年に移籍した近鉄ではカルチャーショックを受けた。

 「巨人では入った時から“紳士たれ”を叩き込まれます。移動の新幹線でアルコール、漫画、週刊誌は禁止。でも、近鉄はなんでもOK。野武士のような集団でしたね。それはそれでプロのチームとしてアリだと思いますが(笑い)。ファンへの対応とか、巨人で教わったことを続けていると僕だけ目立つ。『巨人軍』という看板を背負うことがどういうことなのか、移籍して分かりました。トレードされたことは当時は嫌でしたが、野球が全然違うパ・リーグに行ったことは勉強になったし、良かった」

 在籍した3球団全てで優勝を経験。“優勝請負人”ではなく“優勝見届け人”と謙遜する石毛さんだが、“やり切った”現役生活だったのだろうか。

 「満足はしていません。(活躍した)92、93年も優勝していないので、優勝させてもらったという思いが強い。運があったのかな、と。OBの方々のアドバイスを素直に聞けていたら、もう少しやれたんじゃないかなと思います。練習はもちろんですが、もっと体や食事のことを勉強して(05年に右肘の)じん帯を断裂することもなかったかもしれない。ただ、巨人で銀座パレード、阪神では御堂筋パレード…。一度も優勝経験なく辞めていくすごい選手が大勢いる中で、なかなかできない経験をさせてもらいました。そのおかげで今も野球に携われています。メジャーにも行ってみたかったですね。日米野球でグリフィーJr.を三振に取ったこともあるし、力を試したかった」

 指導する中学生チームは今年、リーグ混合で中学日本一を決める「ジャイアンツカップ」の富山県予選を突破するなど強豪に成長。夏の甲子園に出場したOBもいる。

 「誇らしいですね。これからも富山の子供たちと長く付き合っていきたいです。オーナーが理解のある方で、今後は小学校から社会人までチームを作ろう、と。研修を受けて高校生も教えたい。そこからNPBに行き、指導者で帰って来てくれれば。今後、NPB球団からコーチを依頼されることがあれば、育成を担いたいですね。僕はドラフト外で入って、先輩には負けない、という気持ちでやってきた。誰かが見てくれています。『入ったことはゴールじゃなくスタートなんだよ』と経験を踏まえて伝えたいです」

 ◆石毛 博史(いしげ・ひろし)1970年7月13日生まれ、47歳。千葉・銚子市出身。市銚子高から88年ドラフト外で巨人入団。93年に当時の球団記録となる30セーブを挙げてタイトル獲得。94年もリーグ最多の19セーブ。97年、石井浩郎とのトレードで吉岡雄二と共に近鉄移籍。01年、25試合に登板しリーグ優勝に貢献。02年オフ、阪神にテスト入団。03年、17試合、防御率3・26でリーグ優勝。05年、右肘じん帯を断裂して引退を決意。09年から大阪ゴールドビリケーンズコーチ。12年から06ブルズコーチ。NPB通算375試合、34勝29敗83セーブ、594奪三振、防御率3・44。最高年俸6300万円(94年)。

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