【巨人ドラ1高橋優貴の素顔】〈中〉菅野との「巡り合わせ」

スポーツ報知
東海大菅生時代、投球する高橋

 巨人からドラフト1位指名を受けた八戸学院大・高橋優貴投手(21)。最速152キロの速球とスクリューを操り、北東北大学リーグ初の通算300奪三振をマークした左腕は、ひたちなか、東京、青森の地で着実に成長。巨人との不思議な縁を3回にわたって紹介する。

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 東海大菅生へ進学が決まり、入寮した直後のことだった。浪人時代の菅野がブルペンで打者に対して投げていた。プロを目指していた優貴にとって全てが圧倒的だった。「体の大きさはもちろん違うし、投球も全てにおいてすごかった。自分が中学生の頃から知っていたし、一つの目標であったけど、まだまだ達していない。今考えると一つの巡り合わせだったのかもしれないです」

 こういう人たちがプロを目指すのか―。大きな衝撃は刺激となった。体づくりにも励み、毎日のノルマに茶わん大盛り3杯を食べ続けた。1年から期待をかけられベンチ入り。だが「自分なんか投げていいのか」と自信が持てず、調子の波があった。

 高2の秋の大会前、若林弘泰監督から「左投手でこういう沈むボールを使う投手はあまりいない。なかなか打てないから投げてみろ」と、スクリュー習得を勧められた。それまでの球種は直球、カーブ、スライダー。チェンジアップも投げることができたが、あまり使っていなかった。

 3学年上の先輩から教えてもらい、毎日キャッチボール、ブルペンで投げ込んだ。授業中も常にボールを握り感覚を体に染み込ませた。器用な左腕は秋季大会からスクリューを投げ始め、投球の幅が広がった。だが大一番だった高3の夏の西東京大会決勝。日大鶴ケ丘高戦でリリーフ登板しサヨナラ負け。涙が止まらず、帰宅後も放心状態。「自分はまだまだなんだと。もっと成長したいと思いました」

 高校で結果は残せなかったが、人間性は確実に成長していた。母の日と誕生日には母・佳子(けいこ)さん(44)に手紙を送り、抱負や本音を書き記した。その手紙は今でも実家に大切に保管されている。

 八戸学院大への進学を決め、試験を受けた日は佳子さんの誕生日だった。父・幸司さんと協力してレストランを予約し、サプライズパーティーを開いた。数日前に、今まで手をつけたことのない貯金を下ろし、手袋とカバンをプレゼントした。

 「自分は野球の一流としてやってきたわけではない。(親への感謝は)自分は絶対大事だと思っている」。次は野球で恩返しを。その思いを胸に、大学では活躍の舞台を青森へ移した。(玉寄 穂波)

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