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“キング・カズ”の「神対応」に2度救われた

2018年5月8日16時0分  スポーツ報知
  • 今年3月、山形でファンに手を振って挨拶する横浜C・三浦

 私は人生で、サッカー元日本代表FW三浦知良(51)=横浜FC=に2度、救われた。1度目は約19年前に京都で。2度目は今年3月21日の山形・天童市で行われたJ2・モンテディオ山形―横浜C戦の時だ。19年ぶりに再会した“キング・カズ”の優しさは変わらなかった。

 1999年の夏。世間はノストラダムスの人類滅亡の予言で持ちきりだった。当時小学5年だった私は「どうせ世界が滅びるなら、宿題や中学受験の勉強もやらなくていいだろう」と、のんきに夏休みを満喫していた。そんな中、8月中旬に三浦知良がクロアチア1部ディナモ・ザグレブから京都サンガ(当時J1)へ電撃移籍との一報が流れた。98年フランスW杯代表には選出されなかったが、当時のカズはキッズにとって憧れの的だった。

 夏休みも終わりかけた頃、父が「あの三浦知良に会えるぞ」と教えてくれた。なぜ、カズに会えるのかは約19年前の話なので詳細な概要などは覚えていない。たしか、京都の練習場(東城陽グラウンド)でサインをもらえるイベントだった。会場には、目を輝かせた子供たちが200~300人はいたと思う。この日は蒸し暑く、長蛇の列に私はのぼせかけた。視線の先には、汗まみれのカズがせっせとサインを書いている。そして、私の番まであと4、5人になった時に「色紙がない」と気付いた。待っている間に落としてしまったのだ。

 ついに私の番になった。列に並ぶキッズの大半が色紙を持って並んでいたから、「色紙を持っていないから叱られる…」と焦燥していた。「あれ、色紙は?」。カズから尋ねられると、私は困惑した表情で答えた。「なくしました」。すると、キングはスッと私のTシャツをつかむと、そこにサインを書いてくれた。「ありがとうございます。僕もいつかサッカー選手になりたいです」。うれしさもあってそう伝えると、スーパースターは「頑張れよ」と頭をなでてくれた。ノストラダムスの恐怖の大王には会えなかったが、日本サッカー界のキングには会えた99年夏だった。

 年月が流れ、私はサッカー選手ではなく、新聞記者になっていた。担当する山形が横浜Cと対戦する際に、先輩記者から「日本代表について、カズに聞いてくれ」と指示を受けた。試合は横浜Cが3―2で山形に勝利したが、背番号11は出場しなかった。試合終了後の囲み取材で、約19年ぶりにカズと“再会”した。

 来月にはW杯がロシアで開催される。「日本代表に期待することは何か」と聞いてみると、付き添いの広報さんが「試合以外については話せません」と返答。当然想定されるケースだったが、私は頭の中が真っ白になって、続く言葉が出てこない。必死に質問を考えるも、全く頭に浮かんでこない。困惑する私を見つめながらカズの口が開いた。「同じ選手として成熟している彼らに特に言うことはないが、W杯へのいい準備ができるように、いいサッカーを見せてほしい」。思いがけない、サッカー界の“レジェンド”の優しい気遣い。私は感謝し、深くお辞儀した。

 記者としては大変未熟であるが、19年前と変わらないカズの“神対応”に感極まった。変わらない姿勢があるからこそ、51歳の年齢でもプロを継続できるのだろう。次は堂々と取材できるように、その姿勢を見習って私も日々精進していく。(記者コラム=東北支局・海老田 悦秀)

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