【あの時・オシムの足跡】(1)2チーム6人救急隊員に窮地救われた

2016年2月8日15時8分  スポーツ報知

 2007年11月16日午前2時頃、サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(当時66歳)が千葉・浦安市内の自宅で倒れた。急性脳梗塞だった。日本のみならず、世界のサッカー界に衝撃が走った。当時、実は2台の救急車が駆けつけており、これが幸いした。日本代表の指揮官を辞し、第一線を退いたが、オシムが日本サッカーに残した功績は大きい。現在のサッカーも“予言”していたという名将の足跡に迫る。

 浦安市内の一軒家。日付も11月16日に変わった。15日の最高気温は20度。だが、16日のそれは13度までしか上がっていない。一気に冷えた夜だった。オシムは1階のリビングでプレミアリーグの録画放送を見終え、2階の寝室で床に就いた。1時間後、妻・アシマが夫の異変に気づいた。発作が見られた。あまり日本語に堪能ではなかった長男のアマル・J1千葉監督は、携帯電話で「2人」に連絡した。午前2時だった。

 フランス2部グルノーブルのGM祖母井(うばがい)秀隆(現CTGスポーツクラブ企画部長)はクラブハウスにいた。「父親が倒れた」。オシムを招聘(しょうへい)した千葉の元GMは、国際電話をかけてきたアマルの声が震えているのを聞き取った。「大変なことが起きた。早く救急車を呼ばないといけない」。すぐに日本に電話をかけた。息子と娘は深夜で起きていなかったが、アマルと面識がある知人がつかまり、救急車が手配された。

 オシムの代理人・大野祐介もまた、アマルからの電話を受け取った。「救急車を呼んでほしい、と。症状を聞いたら、恐らく脳の発作だろうと言っていました。現役の日本代表監督に、もしものことが起きたらいけない」。119番通報し、浦安市内の消防署につないでもらった。いつも通り冷静に対応しようと努めた。救急車を呼んだ後、都内の自宅から千葉方面に車を走らせた。

 2台の救急車はほぼ同時に到着したという。通常、救急チームは3人1組で動く。オシムは身長191センチ、体重100キロを超える巨漢だった。意識が混濁しているオシムを担架に乗せ、2階から1階へ運ぶには3人では少なかった。1分1秒を争う脳梗塞の処置。もし、1チームだけだったら、倒れてから1時間後とも報道された医師の診察はさらに遅れていた。2チーム6人の救急隊員が駆けつけたことは幸運だったと言える。

 オシムは順天堂浦安病院に搬送され、集中治療室に入った。千葉時代から不整脈があり、定期健診を受けていた系列病院での治療が選択された。日本サッカー協会会長の川淵三郎が「脳が異常な形で腫れており、寝たきりの状態」と発表するなど、楽観視できない状況が続いたが、10日後、アシマの呼びかけに反応し、意識を取り戻した。左半身にやや障害がでたが、都内の施設で懸命のリハビリを続け、順調に回復した。

 「マリア様に会ったんだけどなぁ」。祖母井が見舞いに訪れた時、開口一番、こう言われたという。そんなウィットに富んだ名将が、日本代表監督に就任する際は一筋縄ではいかなかった。(特別取材班)=敬称略、肩書は当時=

 ◆イビチャ・オシム 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のサラエボ生まれ。74歳。選手時代はFWで旧ユーゴスラビア代表として64年の東京五輪に出場した。78年に現役引退し、指導者に。90年のイタリアW杯では旧ユーゴスラビア代表を8強に導いた。2003年に市原(現千葉)の監督に就任し、05年のナビスコ杯で初タイトル。06年7月、日本代表監督に就任。07年11月、脳梗塞で倒れ、同12月に退任した。家族は妻と2男。

あの時
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