【U23】森保監督「やんちゃOK」東京五輪へ育てるサッカー界の宝

スポーツ報知
2018年の目標を色紙に「前進」と記したU-21代表の森保一監督(カメラ・竜田 卓)

 2020年の東京五輪代表を指揮する森保一監督(49)が、正月インタビューに応じた。本格的な始動となる18年の目標や、視察先の欧州で学んだことなどを多いに語った。2日からは中国で行われるU―23アジア選手権(9日~27日)に向けた事前合宿を、大阪府内でスタートさせる。(井上 信太郎)

 ―07年にU―20日本代表コーチを務めていた時以来の年代別代表。

 「すごく新鮮な感じがしました。12月のタイ遠征で戦った選手たちは、練習でも試合でも、ひた向きに食らいついていくみたいな、上に少しでも上がるんだという気持ちがすごく伝わってきました」

 ―MF柏木やDF槙野、森重らがいた10年前のU―20W杯(カナダ)と比べて。

 「おとなしいところがあるかなと。でも私のチームとして初めての活動で緊張感があったと思います。今の時代を生きる選手の考えを理解できるように、コミュニケーションを取りながらやれれば。もうオヤジですからね」

 ―(昨年)7月に6年務めた広島の監督を退任。切り替えは?

 「広島で選手として、人として教育していただいて愛着は持っています。けれど、プロの世界ですし、一つ区切りがついた。まだまだ現場で監督の仕事がしたかったので、オファーが来るまでいかに充電するか、指導者としてサッカーを見て学ぶことができるか。その切り替えはすぐできました」

 ―充電期間中にドイツなど欧州を2度視察。学んだ点は。

 「伝えることかなと。勝っている時は自然と物事が流れていく。10のことをやろうと思えば、1つ2つ伝えれば、あとは選手たちが引き出しを使って対応してくれる。広島の監督で6年目だった昨年は、選手が入れ替わってきて、あうんの呼吸でできていたことが少しずつズレ始めた。『これまで通りやっていこう』という言葉が通用しなくなっていた。欧州ではいろんな監督さんの練習を見させてもらって、どういう風に自分がやろうとするサッカーやコンセプトを伝えているか見ていました。選手の状態や年齢、レベルに合わせた伝え方をするようにしています」

 ―広島時代は3―4―2―1という独自の形でやっていたが、タイ遠征では4―4―2も試した。

 「前任のミシャ(ペトロヴィッチ)さん(現札幌監督)がやられていた形でしたけど、コーチとして見ていて、すごくいいなと思っていました。例え他のところの監督になっていたとしても、最初に絶対やろうと思っていたんです。ただ、広島でずっとやっていたのはその形に見合った選手がいたから。今回のタイに来た選手たちはよく予習してきていたけど、このチームは別物。そういう意味でシステムを変えました」

 ―現役時代はマツダ(現広島)でも、日本代表でもオフト監督に守備的MFとして見出された。今でも生きていることは?

 「まさに選手の適性を見抜くということ。守備的な中盤の仕事が合っているだろうと見ていただいて、必要なことを植えつけてもらえたことは、すごく大きかった。僕があの時点で『FWをやれ』と言われていたら成功していないし、代表にもなっていない。私も選手たちがより高いレベルでやっていく中で、どのポジションが合っているか見抜くことができればと思います」

 ―2日からU―23アジア選手権(中国)に向けた事前合宿が始まる。今年の目標は?

 「まずは選手個々の力を見てみたい。チームとしての大枠のコンセプトは理解してもらいつつ、やんちゃな選手や強烈な個を持つ選手を認めていきたい。もちろん結果を出すためにやりますが、やはりプレーヤーズファースト。選手がサッカー界の宝として育つように、いいキャリアを積めるようにやっていきたい」

 ◆森保 一(もりやす・はじめ)1968年8月23日、長崎市出身。49歳。長崎日大高から87年にマツダ(現広島)入団。守備的MFとして活躍し、92年に日本代表初選出。国際Aマッチ35試合1得点。京都、広島、仙台を経て2003年に現役引退。04年に広島の育成コーチに就任し、05年からU―20日本代表コーチを兼務。広島コーチ、新潟ヘッドコーチを経て、12年に広島の監督に就任。12、13、15年にJ1優勝。17年7月に退任。家族は夫人と3男。愛称は「ポイチ」。

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