”つなぎの救世主”西野朗新監督、「自分の立場より現状打破」

スポーツ報知
10年、G大阪の指揮官としてピッチの選手に向かって指示を出す西野監督

 ロシアW杯(6月14日開幕)の先導役は西野朗監督(63)に託された。96年アトランタ五輪の1次リーグでブラジルを撃破する「マイアミの奇跡」を起こし、G大阪では2008年にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制覇。実質3週間の準備期間で、日本代表をV字回復させる手腕が試される。スタッフの陣容を調整した上で12日に就任会見に臨む。

 西野新監督に「ロシアの奇跡」が期待される。新監督就任を受け、協会を通じてコメント。「このタイミングでの監督交代は非常に難しいことですが、自分の立場だけを考えるのではなく、現状況を打破することが第一義だと判断し、日本代表の指揮を執ることにしました」と抱負を語った。

 日本協会の田嶋幸三会長(60)は様々な関係者と意見交換の上、4月に入ってすぐに西野氏に名古屋市内で監督就任を打診。6日にも会談した。「西野さんは慎重な人なので、いろんなことを考えた上で結論を出してくれました」と最終的にはオファーを受諾したという。

 ハリルホジッチ監督の解任理由に、3月のベルギー遠征で1分け1敗に終わり、選手とのコミュニケーションや信頼関係が薄れてきたことなどを理由に挙げた。「1%でも、2%でも、W杯で勝つ可能性を追い求めていきたい」と、7日に田嶋会長はパリのホテルでハリル監督に解任を通告した。

 代表活動という実質の準備期間は5月下旬からの約3週間。「緊急事態だということで西野さんにお願いした。内部から今までを知っている人がやるべきだからお願いした」と田嶋会長は説明した。

 96年のアトランタ五輪の1次リーグでは優勝候補のブラジルを撃破する「マイアミの奇跡」を演出。JリーグではG大阪で08年にアジア制覇するなど、J1リーグ戦は524試合を率い、270勝(試合数、勝利数とも歴代トップ)した経験がある。日本代表の命運を託され、「W杯に向けて、サッカー界の力を結集していけるように、全身全霊で取り組んでいきます」と決意を込めた。

 ◆西野 朗(にしの・あきら)1955年4月7日、浦和市(現さいたま市)出身。63歳。早大時代にFWで日本代表入り。卒業後は日立製作所(現柏)に入団し90年に現役引退。94年にU―23日本代表監督に就任し、96年アトランタ五輪でブラジルを破る“マイアミの奇跡”を演出。98年から01年7月まで柏、02年から11年までG大阪を指揮し05年にリーグ優勝、08年にACL制覇。12年に神戸、14年から名古屋を率い15年限りで退任。16年3月から協会の技術委員長。

 ◆Jリーグが創設された93年以降の日本代表監督交代
 ▽94年10月・ファルカン監督解任 94年3月就任。同年アジア大会で4強入りを逃し、8か月で解任。後任は加茂周監督。
 ▽97年10月・加茂周監督更迭 フランスW杯アジア最終予選のホーム韓国戦で逆転負け。続く敵地でのカザフスタン戦も引き分け、解任。岡田武史ヘッドコーチが昇格。
 ▽07年11月・オシム監督契約解除 ドイツW杯後の06年7月に就任も、07年11月に脳梗塞を発症し契約解除。後任は岡田武史監督。
 ▽15年2月・アギーレ監督解任 ブラジルW杯後の14年8月に就任。スペイン1部リーグ監督時代の八百長疑惑が浮上し、同国裁判所が告発状を受理したため15年2月に解任。後任はハリルホジッチ監督。

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