【札幌】都倉賢が激白「最低でも決定率20%」…新春インタビュー

スポーツ報知
サポーターへメッセージを送る都倉

 クラブ目標のJ1定着へ、北海道コンサドーレ札幌FW都倉賢(31)が進化を示す。昨季、チームの日本人最多となる9得点を挙げた都倉が、本紙のインタビューに2018年の抱負を語った。自身5年ぶりのJ1舞台で得た手応えに更に磨きをかけたうえで、浮き彫りとなった課題を払拭(ふっしょく)し、ミハイロ・ペトロヴィッチ新監督(60)の下での更なる活躍を、新年の誓いに立てた。(取材・構成 砂田秀人)

 ―J1残留を果たした昨季はどんな1年だった。

 「久々のJ1だったが、神戸のときは自分が圧倒的な力を出せたというイメージがないまま、J2に戻ってしまった。自信と不安が渦巻く中でのスタートだったけど、できることや圧倒的に通用することができないことを上回れた」

 ―できたことと言うのは。

 「高さ、強さと、前への推進力は、相手が警戒しているというのをすごく感じた。今まで札幌はJ2だったので、相手も顔と名前が一致しない選手が多かったと思うけど、後半戦は相手も札幌のメンバーを把握してると感じた。J1の選手という格を得た選手が増えた中で今季を迎えられるのは、すごくいいと思う」

 ―逆に課題など感じたか。

 「J2の時に比べて波が少し出てしまった。波が出るというのは、最低限の戻るべきところが確立されていなかったということ。例えば前への推進力を出せるときはストレスなくできても、先制されて相手に引かれた時とか、J1では難しいなというのはすごく感じた。孤立すると打開しきれない部分はあったので、2、3個前から最後をイメージした連動が必要だと。圧倒的に苦しい状態でもキープできる部分や、引かれた相手に対してのアイデアというのは、もう少し工夫した方がいいと感じている」

 ―昨季は目標の10点にはあと1点足りなかった。そこを取るためには。

 「あとは決定率だと思っている。(得点王の川崎F)小林悠君とかは25%くらいだけど、僕は11%くらい。最低でも20%くらいには成功率を上げたい。シュートを打つという良さは失わず、あとはディテールにこだわれば、成功率も上がってくると感じている」

 ―今年はペトロヴィッチ監督に代わる。

 「外から見ててもやはり面白いし、やっている選手も楽しそう。今まで大きい選手がいない中でのチーム作りだったが、札幌は全く別のキャラクターが多い。その中でどういうチームを作るのかなと。僕自身、今まで考えていなかったことを求められることもあると思うが、そこは更に成長するチャンスだと捉えている」

 ―都倉選手には少なからず因縁もあるが。

 「僕らが(昨年7月に浦和に)勝って解任に追い込んだので(苦笑)。個人的にも印象には残っていると思うから。世間的にはミシャさんは前の方で大きな選手は使わないのではという感じだけど、その良さを使いながらあのサッカーができたら無敵だと思う。浦和の弱点はロングボールを出した際にキープできないことだったけど、そっちもできるとなったら本当に強いと思うから。すごく楽しみ」

 ―今年はクラブにとっても大事な1年になる。

 「長い目で見た時にコンサドーレらしさという部分が、相当決まってくる。今までは堅いチームとして目標を果たせたが、これから更に大きくなる上では自分たちの攻撃的な色を出していかないと上に行けない。今までの土台をベースに更にそれが乗っかってくれば、ステップアップできる」

 ―今年はどんな年にする。

 「もっと数字をというのはある。一昨年は20点の目標で19点だったし、去年は2ケタって言って9点だった。いつも1点足りないので、本当に成功率にはこだわっていきたい。順位は個人的にはしばらく残留争いでいいと思ってる。神戸の時、1ケタ順位の目標って、超漠然としてて、やっていてつまらなかった。サッカーをやりたくない、やるのが怖いくらいの精神性の中で、しびれる試合をしながら残留争いする方が選手として成長できる。あと1、2年は僕は残留が目標で全然いい。まずは安定してJ1に定着して、会社も5億、10億とか、かけられる年が来た時には大きい目標でいいが、今からトップ5とかは違う。僕らは泥臭く、まず残留することです」

 ◆都倉 賢(とくら・けん)1986年6月16日、東京都出身。川崎ユースから05年、慶大進学と同時にトップ昇格。同年5月4日の新潟戦でJ初出場。08年8月にJ2草津(現J3群馬)に期限付き移籍し、同年11月9日の鳥栖戦でJ初得点。09年は草津、10~13年は神戸に所属し、14年3月に札幌加入。昨年9月30日の広島戦でプロ通算100得点を記録。J1通算94試合21得点、J2通算191試合74得点。昨年8月に第1子となる女児が生まれた。187センチ、80キロ。左利き。背番号9。

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