元日本代表DFで将棋親善大使の波戸康広さんが明かす、サッカー&将棋の4つの共通点

スポーツ報知
日本サッカー界きっての将棋通として知られる波戸康広さん

 将棋界とサッカー界をつなぐ人がいる。サッカー元日本代表DFの波戸康広さん(41)は横浜F・マリノスのアンバサダーとしての活動の傍ら、日本将棋連盟の将棋親善大使を務めている。現役時代、自分が飛車になったイメージで右サイドを駆け上がっていた波戸さんは、「サッカーという夢をかなえるためのヒントが将棋でした」と語る。両競技の意外な共通点とは―。

 現役時代、波戸さんは移動中の車内で詰将棋を解いていた。「周りからは『将棋が趣味なんてオジさんくさいな!』って散々言われましたよ…」。ところが、将棋は単なる趣味ではなく、サッカーと多くの共通項を持つ教材だった。「相手が何を考えるかを常に読むこと、ゴール(詰み)までの過程を逆算すること、セオリー(定跡)を体に覚え込ませること。あと『攻撃は最大の防御』なんてなくて、まずは守備から、というところも共通しています」。盤上で学んだ教訓を、ピッチでの血肉とした。

 小1でサッカーを始めて夢中になったが、小3で将棋にも目覚めた。「父親が将棋好きで、コミュニケーションといえば将棋でした。床屋さんが強くて、髪を切った後に指すんですけど、負けると悔しくて泣いてました」。小6の時、郡の将棋大会で優勝。ところが、県大会の日程がサッカーの試合と重なった。「プロになるつもりだったので当然サッカーを選びましたけど、もし将棋を選んでいたら…ハブかハトかという存在になったでしょう…すいません! 冗談ですっ!(笑い)」

 高校卒業後、夢だったJリーガーになったが、当初は苦しんだ。FWとして期待されたが、全く通用しなかった。3年契約の最終年、実家に電話した。「オレ、サッカーはもうダメだ。オヤジのトラック運転手を継ぐよ。大丈夫。人生はやり直せる」。誰よりも応援してくれていた母親が受話器の向こう側で泣くのを聞いた。

飛車のように! 類いまれなスピードに着目したサテライト監督のゲルト・エンゲルス氏(現神戸ヘッドコーチ)に勧められ、右サイドハーフ、右サイドバック(時には左も)に転向。活路を見いだした。「新しい自分になると思った時、イメージしたのは将棋の飛車の動きでした。スピードと上下動には自信がありましたし、相手陣に入ると飛車は竜(竜王)になってドリブルで切り込んでいくような細かい動きもする。香車は…凡人のサイドバックですね(笑い)。行ったら戻ってこないし、敵陣でも成香にしかなれない」。4年後には日の丸のユニホームを着ていた。

 サッカーに重なるイメージはほかの駒にもある。「確実に言えるのは金がDFであることですね。ストッパーのようですけど、時にボランチの位置やアンカーのような役割に変わる。銀は攻守のカギを握る存在。桂馬はスピードやドリブル、技を持ったトリックスターで、角は監督が組み立ての中心に据えるスーパースターですね」。歩は自ら犠牲になってスペースを作り出すプレーヤーになり、王将はキーパーでありゴールそのものでもある。

 「居飛車はバルセロナのパスサッカー、振り飛車はレアル・マドリードのカウンターサッカー」が持論。残り3か月に迫ったロシアW杯で、日本代表はどう戦うべきなのか。「長所である勤勉性、強調性を生かした振り飛車、つまりレアルのカウンターです。日本の身体能力と体格ではバルサのサッカーは無理です。面白そうだなと思うのは…久保利明王将が指す振り飛車の奇襲戦法のようなサッカーでしょう」。久保王将のニックネームは「捌(さば)きのアーティスト」。捌きとは、それぞれの攻め駒(特に飛車と角)がうまく働けるように、機能に応じた役割やスペースを与えること。やはり、サッカーと共通している。

 2つの世界をつなぐ懸け橋として、スタジアムに棋士を招いての指導対局などを積極的に行っている。今後のさらなる普及計画は。「やはり…藤井聡太六段に来ていただけたら大フィーバーですよね」。ちなみに藤井六段は50メートル走6秒8の俊足。右サイドを駆け上がれば、飛車のように見えることだろう。(北野 新太)

 ◆波戸 康広(はと・やすひろ)1976年5月4日、兵庫県西淡町(現・南あわじ市)生まれ。41歳。95年、滝川二高からFWとして横浜Fに入団。99年、吸収合併で横浜Mへ。MF、DFへのコンバートで頭角を現し、2001年に日本代表初招集。15試合に出場。04年途中から柏、06年から大宮、10年に横浜Mに復帰。11年に引退。12年に横浜Mアンバサダー、14年に日本将棋連盟の将棋親善大使に。棋力はアマ二段。

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