【マリオのサッカーこぼれ話】とてもささやかな革命を起こしたヒーロー

2017年9月14日16時0分  スポーツ報知

 1990年代、4部サッカーリーグの一人のアルゼンチン選手が、グラウンドでの「革命的な」行動によって人気を博した。

 世界でもっともすばらしいスポーツを愛する彼は、サッカー界を取り巻くさまざまな組織やビジネスが犯す不正な行為に抵抗を行った。

 その男ダリオ・デュボワは選手としては凡庸だったが、サッカーにそそぐ情熱の大きさでは誰にも負けなかった。金を稼ぐことより彼にとって大切なのは、試合をすることだった。サッカーの次に彼が大切にしたのは音楽、それもヘビーメタルだった。

 デュボワはアルゼンチンのサッカー協会と再三にわたって対決をした。公式戦にデュボワは、ロックスター顔負けのペイントを顔にほどこしてグラウンドに現れた。マスコミに語ったデュボワの弁によれば、それは敵をひるませるためであり、抗議のためでもあった。クラブがボーナスの支払を怠った報復として、彼はユニフォームのスポンサーの名前の上に粘着テープを貼ったり、グラウンドの土を塗りたくったりもした。サッカーファンたちから反発の声が上がり始めた。デュボワが若者にとっての悪い見本となっているように思われたからである。そこでサッカー連盟が乗りだし、デュボワに対して抗議行動を行わないように命じた。そのお返しとして、デュボワはユニフォームに手錠をかけられた拳の絵を描いた。

 34歳でデュボワは膝に重大なトラブルを抱えた。手術代が払えなかったデュボワはサッカー連盟にかけあったが、支援が得られなかったため、選手生活を引退した。

 引退後は音楽活動に専念したが、腐敗した人間たち、とりわけ政治家に対する批判をせずにはいられない性癖を改めることはなかった。

 2008年、デュボワは強盗の放った二つの銃弾によって38歳で命を落とした。

 アルゼンチンの日刊紙オーレが行ったインタビューで、彼は自分のキャラクターについてこう語っていた。「オレは顔にペイントを塗りたくり、自分が愛するユニフォームに殺される道化師なのさ」

(Graziano Mario Sforza)

  • マリオさん

    マリオさん

 ◆グラツィアーノ・マリオ・スフォルツァ 1956年7月2日、イタリア・ポテンツァ市生まれ。78年留学のため来日するが中退後、日本人女性と結婚。82年に日本でCM制作会社ウルビスを設立。その後、スポーツ、音楽イベントの企画も行う。87年に当時セリエAナポリに所属していたアルゼンチン代表マラドーナのCMを制作しサッカー界との関わりを深める。88年にナポリ―日本代表、92年にはイタリア代表バッジョ率いるユベントス―日本代表の試合などを企画。三浦知良のジェノア移籍にも関わる。98~09年までは日本サッカー協会公認代理人。02年にはフランス代表ジダンが出演して話題となった日清カップ・ヌードルのCMも制作した。趣味は仕事とオペラ鑑賞。

マリオのサッカーこぼれ話
  • 楽天SocialNewsに投稿!
海外サッカー
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ