【マリオのサッカーこぼれ話】ついえた夢(第一話)

2017年10月5日16時0分  スポーツ報知
  • グラツィアーノ・マリオ・スフォルツァ

 完璧な一夜となるはずだった。数知れぬ個人的犠牲を払ったことも、幾多の逆境を乗り越えてきたことも、今かなえられようとしている夢によって、すべて忘れられるはずだった。それは1994年9月4日、ミラノのサン・シーロ・スタジアムでの心地よい一夜。

 企てられた賭けには一つの目標があった。つまり、イタリアのセリエA(当時は世界で最も美しいサッカー・リーグと謳われていた)では前例のないタブーを打ち破ること。実際、この日が来るまでは、日本の(あるいはアジアの)選手がセリエAのチームに加わったことは一度もなかったのである。

 そんな大胆きわまりないチャレンジに挑むには、わずかな狂気(私の思い)とたくさんの勇気(カズの思い)をもつことが必要である。認めるのは悲しいけれど、何か先駆けとなる企てをすると、真っ先に向かい風となって吹きつけてくるのは人々の猜疑心であることを私は学んだ。最初はどことなくわずらわしい程度のこの微風も、企てが進むにつれて、徐々に遠くの重たい雲を運んでくる。それがこちらを脅かす存在になったのに気付いたときには、すでに手遅れなのだ。

 その夜、サン・シーロのすばらしいスタジアムはお祭り騒ぎだった。リーグの初戦は常に、イタリアのサッカーファンが最も熱くなる試合が組まれる。そうしたファンにとって、サッカーなしで2か月間を過ごすのはつらいことなのだ。ACミラン対ジェノアFCの一戦は、リーグ戦第1週に唯一組まれたナイトゲームだった。かたやフリット、ファン・バステン、バレージ、マルディーニ、ボバン、サビチェヴィッチといったスター選手たち。他方は、スターはいないものの、最高のレベルの選手たちが科学的スタイルのプレーを展開するジェノア・チーム。代理人をしていた私にとっても、カズにとっても、そして日本サッカーにとっても、胸踊る冒険を始めるのにこれ以上の舞台はありえなかった。

 ヴェルディ川崎の社長とともに、私はロッカールームの出口に向かった。感動に胸震える瞬間だった。最初にACミランの選手たちが出てきた。世界最強の選手たちのオンパレード。緊張のまなざし、張り詰めた筋肉。ずらりと並んだ足先はたえず動き続けている。ありあまるエネルギーをスタートの瞬間から解き放とうとするサラブレッドのように。つづいて、白いユニフォームのジェノアの選手たち。彼らのまなざしにも緊張感がただよう。カズは我々の挨拶に応えるが、その顔に笑みはない。我々は両チームがグラウンドへと通じるトンネルに姿を消すのを待つ。空気はなおも緊張に包まれている。観客席へと戻りながら、私は悪い予感を心から振り払おうとする。

  試合開始から25分、予想外のことが起きた。バレージとの悪意のない激突で、カズが倒れたのだ。頑健な肉体と精神力のおかげで、カズは前半戦を最後までグラウンドにとどまった。ハーフタイムに私は、ジェノアのスタッフの声を耳にした。カズは即刻、病院に搬送する必要がある状態だというのだ。(続く)

(Graziano Mario Sforza)

◆グラツィアーノ・マリオ・スフォルツァ 1956年7月2日、イタリア・ポテンツァ市生まれ。78年留学のため来日するが中退後、日本人女性と結婚。82年に日本でCM制作会社ウルビスを設立。その後、スポーツ、音楽イベントの企画も行う。87年に当時セリエAナポリに所属していたアルゼンチン代表マラドーナのCMを制作しサッカー界との関わりを深める。88年にナポリ―日本代表、92年にはイタリア代表バッジョ率いるユベントス―日本代表の試合などを企画。三浦知良のジェノア移籍にも関わる。98~09年までは日本サッカー協会公認代理人。02年にはフランス代表ジダンが出演して話題となった日清カップ・ヌードルのCMも制作した。趣味は仕事とオペラ鑑賞。

マリオのサッカーこぼれ話
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