【W杯伝説プレーバック】王国ブラジルが経験した2つの悲劇

スポーツ報知
14年大会は自国開催にもかかわらず、ドイツ代表に7失点で大敗し「ミネイランの惨劇」と呼ばれる屈辱を味わったブラジル代表

◆1950年ブラジルW杯 ▽決勝リーグ第3戦 ウルグアイ2(0―0、2―1)1ブラジル(1950年7月16日、ブラジル・マラカナン競技場)◆2014年ブラジルW杯 ▽準決勝 ドイツ7(5―0、2―1)1ブラジル(2014年7月8日、ブラジル・ミネイラン競技場)

 毎週木曜掲載のロシアW杯日替わり企画は「伝説プレーバック」と題し、過去大会の激闘や活躍した選手を紹介。第1回は「悲劇」をキーワードに、王国ブラジルが経験した2つの試合を取り上げる。

 1950年ブラジル大会。ブラジル国民は地元Vを信じて疑わなかった。4か国総当たりの決勝リーグで、2戦を終えて13得点2失点で圧巻の2連勝。最終戦でウルグアイに引き分ければ優勝が決まる。会場のマラカナン競技場には20万人超の観客が集結した。

 しかし結果は1―2の逆転負けで準V。会場内から4人の死者(心臓まひ2人、自殺2人)が出た。ミスで失点に絡み「戦犯」「疫病神」「非国民」と批判を受け続けたGKバルボサは「50年も経過すればどんな犯罪も免罪になるが、半世紀たっても私の罪は消えない」と言い残し、2000年に死去した。これを機に、ブラジルのユニホームは白からカナリア色(黄色)に変更。「マラカナンの悲劇」と記憶されることになった。

 それ以来の自国開催となったのは、14年大会。準決勝のドイツ戦で「ミネイランの惨劇」と言われる1―7の屈辱的敗北を喫した。国内では暴動や略奪が多発。10代少女の首つり自殺も明らかになった。エストラ紙1面の見出しは「最大の恥辱とされてきた1950年の悲劇に祝福を。我々は本当の恥辱が何かを知った」。ランセ紙1面は真っ白。「憤怒、恥辱、幻滅などの感情をどうぞここに記してください」とした。

サッカー

×